アダルトチルドレン(AC)シリーズの第3回、「毒親とAC」

今回、ACの連載を始めてから、「毒親について」の質問が増えました。

「毒親に育てられるとアダルトチルドレン(AC)になるのか?」

「毒親とアダルトチルドレン(AC)とはどう違うのか?」

つまり、ACと「毒親」をどのように考えれば良いのだろうか、というご質問です。

=様々な呼び名が表わす意味=
毒母(毒ママ)、毒父(毒パパ)、また「モラ母」という言葉も同じ現象を指しています。つまり、文字通りの暴力による「児童虐待」、または過保護や過干渉などの「優しい虐待」によって、「毒のような悪影響を子どもに与える親」という意味で使われています。

=毒親を理解するための最初の一冊=

もともとはアメリカのカウンセラーであるスーザン・フォワードが書いた「毒になる親Toxic Parents」から出た俗語で、「子どもの人生を支配する親」のことを指し、一種の「虐待親」として扱われてきました。スーザン・フォワードはその本の中で、「毒親に育てられた子は、毒親からの児童虐待によって苦しみ続ける」と書き、さらに、「毒親の子は毒親を許す必要などない」と主張しています。

共感や思いやりを持てない?!=

機能不全家庭で育った子供は、その自分の家庭環境や家庭の考え方(価値観)が当たり前であるかの様に思って成長することが少なくありません。また、幼少期の重要な人格形成の時期に、本当の愛情をもらえる機会が極端に少なかったことによって、「健全な自己愛」や「自尊心」、「他の人への共感」や他の人の苦しみに対する「思いやり」など、大切な人間的資質に欠けた大人になりやすいという主張にも一理あると言わねばなりません。

人や社会と健全な関係を築けない大人=

こうして、機能不全家庭の中から「人や社会と健全な関係を築くことができない大人が輩出されてしまう」という結果が生じることになります。しかも、それがまるで遺伝のように子に受け継がれていくという事ですから本当に恐ろしい事です。。

自分では「こわい」ということに気がつけないほど?=

毒親の子は、人を信頼することや本当の自分を人に正直に表現することに強い恐怖心があるため、日常生活でも対人関係がうまく行かず、いつも強い緊張を強いられます。その恐怖心というのがあまりにも根強いため、自分では「こわい」ということに気がつけないほどです。

子育てとは苦行のようなもの?!!!=

このため人間関係に疲れやすく、何をやるにしても充実感や達成感に乏しく、ほとんど慢性的な虚無感に苦しむ方が少なくありません。言い換えると、「自分には生きる意味がない」とか、「人生は虚しく辛い」という実感に苛まれているのです。親であれば、「子育てとは何と喜びの無い苦行のようなものだろう」と感じるのです。

自分は毒親なのではないか?という健全な疑問=

日本の現代社会では、自分はアダルトチルドレン(AC)ではないか?つまり、自分は「機能不全家庭」で育ったのではないか?あるいは、自分の親は毒親だったのではないか?という疑問を持つ人や、逆に、いま子育てをしている自分の家庭は「機能不全家庭」ではないか?自分は毒親なのではないか?と恐れる親も少なくないように思います。こういう疑問や恐れを持つこと自体、私はとても良いことだと思っています。と言うのは、もし自分がアダルトチルドレン(AC)ならば、いま自分がしている子育てはひょっとして「優しい虐待(暴力のない虐待)」なのではないかと気が付けるかもしれません。また、ひょっとして自分の家庭が「機能不全家庭」なら、子どもがアダルトチルドレン(AC)になってしまうかもしれないと、その危険性に気が付けるかもしれないからです。

分かりにくい「自分の事」=

とは言っても、自分がアダルトチルドレン(AC)なのか、そうではないのかという事も、自分の家庭が「機能不全家庭」なのか、そうではないのかということも、そう簡単にわかることではありません。なぜなら、誰しも自分が育ってきた家庭が標準的な家庭だとどこかで思っていますし、そう思うからこそ、それと同じような標準的な家庭を作ろうとするのが自然だからです。

=「どこの家庭もおんなじね」???=

また、ふとしたことで他の家庭や親子関係を見た時にも、「ああ、どこの家もおんなじね。うちと同じことをやっている」と感じたことは誰しもあるのではないでしょうか?しかし、本当に同じようなことをやっているのか、実は「優しい虐待(暴力の無い虐待)」をしているのかは、外見的なことでは分かりません。

=気が付く事の難しさ=

親は愛情がなく形だけ普通に取り繕っているだけかもしれませんし、子どもはそういう形を受け入れつつ、実は本当の愛情に飢えているかもしれません。そして、親は、自分の愛情のなさに気が付かず、子は自分の愛情飢餓感に気が付かないという事も少なくないのです。

=「私の親は~」と語り始めることの大切さ=

ここで大切なのが、こうした様々な相矛盾する疑問や恐れを感じたときに、とりあえず自分自身のことも、自分の子どものことも脇に置いて、「私の親は毒親だったと思う。というのは~」と語り始めることなのです。

=「親を許せ」とはうかつには言えない=

私もスーザン・フォワード女史のいう「毒親を許す必要など無い」という意味は良く分かります。特に日本のカウンセラーは、クライアントの心の傷(トラウマ)を癒すためには「赦(ユル)し」が不可欠だと考えて、トラウマとそれを残した親の虐待を十分に掘り下げていません。それが不十分なまま「赦(ユル)せ」と言われるのですから、クライアントはたまったものではありません。不十分なカウンセリングはクライアントを更なる苦しみに突き落とします。親を赦せない私は、やっぱり何と親不孝な子だろうと、ますます自責の念と罪悪感に駆られるからです。

=毒親を語ることのうちに見えてくる自らのAC

自分のことを考えているばかりでは疑問や迷いや恐れが打ち寄せてくるばかりで、何も見えてこないかも知れません。特に、ACの方は、子ども時代の様々な出来事、特に苦痛に満ちた出来事を心の奥底に押し込んで無かったことにしてしまう為、どうしても子ども時代を思い出せない、たとえ思い出せても切れ切れの記憶でしかないことが少なくありません。だからこそ、自分を語るのでは無く、自分の毒親を語る必要があるのです。親への湧き上がる憎しみに耐えながら毒親を語る事のうちに、自らのACが見えてくる事でしょう。さらに言えば、毒親をもし十分に掘り下げて考えることが出来れば、その人の毒親もまた過酷な虐待を耐え忍んで生き抜いたアダルトチルドレン(AC)だという事が分かります。

=自分が悪い子だったからだと信じていた!!=

A子さんは毒親の無視と無関心に苦しんだアダルトチルドレン(AC)です。生まれた我が子に愛情を感じることが出来ず、私のところを訪れました。当初は、A子さんの母親が自分を愛さなかったのは、自分悪い子だったからだと固く信じていました。色々とお話を伺っているうちに、A子さんは祖母が亡くなった時の事を思い出しました。それほど昔の事ではなかったのですが、A子さんはすっかり忘れていたのです。祖母の葬儀が行われた後、A子さんは実家に寄ったのでしたが、お母さん(母親)がほっとした明るい表情を見せていたことに気が付きました。

=A子さんの述懐=

「母は赤ん坊を抱いたことは一度もなかったのですが、その日は娘を抱き上げました。母は祖母が死んだことを喜んでいたのだと思います。初めて、祖母の呪いから解放されたように感じていたのではないでしょうか。母は私の目を見ることはほとんどなかったのですが、その日は私の目を見て、この子は何か月?と聞きました。いま私は、母も私と同じだったのだと気が付きました。母も私と同じように娘の私をどうやって可愛がったらいいのか分からなかったのだと思います。私がそうだったように、きっと私のことを異物か何かのように感じたに違いありません。それは、きっと母のせいではなかったのです。そして、私のせいでもなかったのです」。

=毒親なんていない!=

私には、毒親もまた自分と同じアダルトチルドレン(AC)なのだと悟ることは、ACが癒されるためにどうしても必要なプロセスの様に思われます。

=あなたも幸せになることが出来る!!=

毒親に苦しんだ皆さん、そして今も毒親のトラウマに苦しむ皆さん、毒親への憎しみを無理して捨ててはなりません。しかし、同時に、毒親のことをあらためて理解しようとすることが必要です。難しい事ですが、それがもし出来れば、子どもを愛することも十分に出来ます。愛することが出来るという事は、あなたも幸せになる事が出来るという事です。

以上

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