不登校マップのF群「発達障害」について

不登校の原因のひとつとして「発達障害」があります。私の不登校マップの中ではいちばん右側に位置しています。

昔は発達障害というと、一生持続する心身の機能不全が18歳ころまでの発達期に現れるものを指していました。日常生活を単独で行うことに困難があって、様々な支援やケアを個別に一生受け続ける必要があります。代表的なものに脳性麻痺や視聴覚障害や知的障害と言われるものがあります。

一方、近年、すごく増加しているとされる「発達障害」は、知的障害はないか、あっても軽く、適切な対応によっては思春期以降に支援が必要なくなる場合もあれば、逆に、不適切な対応によって社会的な生活が困難になってしまう場合もあります。この困難になってしまう場合に、子供が不登校になってしまう場合というのが含まれるのです。逆から言えば、不登校の子供たちの中に「発達障害」を原因とする子供たちが一定割合、存在するのですから、注意が必要だということになります。「発達障害」が原因で不登校になっているということがわからないと、親や教師をはじめ周囲は往々にして「不適切な対応」を取ることになり、そのため社会的な生活が困難になってしまうからです。代表的なものに、高機能広汎性発達障害(アスペルガー症候群を含む)、注意欠陥多動性障害(ADHD)、学習障害(LD)、と呼ばれるものがあります。

いわゆる「自閉症」という診断が始まったのは60年以上前だと聞いています。普通、自閉症は精神遅滞いわゆる知的な遅れがあり言葉も不自由で自立した生活が困難な障害ですが、高機能広汎性発達障害と呼ばれる一群の子供たちは発達の遅れはなく言葉や知能も正常です。むしろ、IQ検査では優に100以上の知能を持つ子供も少なくありません。ちょっと前までは自閉症の一種であることがわからず、母親の愛情不足が原因だからもっぱら愛情不足を補うことに重点が置かれた時期もあります。その後の研究で、かなりの割合で脳波に異常があることがわかり、母親の愛情不足等々の心因的な考え方は、現在では否定されています。いまでは、脳に機能的な、あるいは器質的な要因があるのだろうと推測されていますが、原因が解明されたとは言えない状況です。

このように書いても具体的なイメージは湧かないと思うので、発達障害の中で代表的なものにアスペルガー症候群を例に挙げてみましょう。この子供たちは言葉や認知の面では正常で、知的にも正常か平均以上ですが、人間付き合いが不器用で人間関係を継続して維持していくのが苦手です。それというのも論理的な思考力は優れているのに、ユーモア、皮肉、イヤミ、冗談、諧謔など表面的な言葉の裏に隠されている発言者の意図が理解できないことが多いのです。周りの人達はどうしてそういう理解をするのだろう?と言うことが分からずに苦しむ場面が少なくないのです。

例えば、絵画の時間で自分が絵の具のバケツに蹴つまずいて絵の具をぶちまけてしまったとしましよう。そこで、ボランティアのお母さんが「あらあら、仕事を作ってくれてありがとう」と言ったとします。すると、その子は感謝されたと文字通りに受け止め、置いてある他の絵の具のバケツを次々と蹴り倒してしまうということが起こり得ます。つまり、そうすることで自分の行為が感謝されるだろうと論理的に推定して行動するのです。「そんなことやっちゃダメ!」と言われて初めて自分のミスが指摘されたことに気が付きますが、なぜそれが自分のミスになるのかは理解できていないのです。「喜んでもらえるようにやっただけなのに!」と理不尽さが募ります。そして、世界がさらに不可解なものになっていきます。普通の子供たちが瞬間的に理解して行動できることも、「はたしてどうすれば正しいとされる行動になるのだろう」と様々な対応を理屈で考えて一種の勘(カン)で自分の行動を選択しているように見えます。また、子どもによってはいつも同じ行動を繰り返して場面場面を切り抜けようとします。

こうしたことが学校で繰り返されると周りの子供たちからは「変わったやつ」「空気が読めない」「頭が悪い」などのレッテルを張られ、これがやがて差別や「いじめ」につながることは容易に想像できるのではないでしょうか。

輝け元気!ではちょっと怪しいなと思うとWISCなどの心理検査と脳波やMRIなどの生物学的検査をやってくれる医療機関をお勧めしています。親なら我が子の発達障害にすぐ気がつくのではないかとお思いかもしれませんが、「うちの子はちょっと変わっているだけ」と見過ごしてしまう場合が少なくありません。また、親自身が同じ発達障害を持っているという場合もあります。子どもが発達障害と診断されて初めて自分も同じ障害を持ちながら育ってきたことに気が付くという話はよく耳にします。

もし発達障害があると診断された場合には、特別支援学級などに移ることをお勧めします。親が通常学級にこだわったためにイジメに会い自尊心を傷つけられて「ひきこもり」になるなど社会的に適応できなくなってしまうことはどうしても防ぎたいですね。

 

余談になりますが、ここで「障害」という言葉について考えてみましょう。私も親御さんから「うちの子は障害があるのでしょうか?」と聞かれることが少なくありません。「障害」という言葉はよく使われ、本来は差別的なことばではないないはずなのに、偏見につながりやすい言葉ではないでしょうか。子どもたちの間でも「ブス」という言葉は使えないので、代わりに「顔面障害者」などと悪意で使われているという話を聞いたことがあります。たとえば、英語で考えてみると、広汎性発達障害はPervasive Development 「Disorder」 (PDD)です。注意欠陥多動性障害はAttention Deficit/Hyperactivity 「Disorder」 (ADHD)です。これに対して身体障害者はPhisical Handicapped person または Disabled Personで、「Handicap」「 Disable」という言葉が使われ、前出の 「Disorder」とは明確に区別されています。また、学習障害では Learning 「Disability」 という言葉が与えられています。「Disorder」は混乱とか乱雑とか「乱れている」というのが本来の意味です。これに対して「 Disabled」は「能力を奪われた」というのが本意であり、、「Handicaped」というのは「不利な条件を与えられた」という意味になります。また「Disability」は「病気や事故などで無力になること」というのが本意です。

このように英語では本来別の言葉であるものを日本語ではひとつの「障害」という言葉でくくってしまっているのが、差別や偏見につながりやすい土壌を生んでいるのではないでしょうか。「Handicap」「 Disable」「Disability」という言葉が、たとえば「視覚障害者」と呼ばれるときに健常に目が見える場合と生まれながら視力がない場合のように、障害と健常の「境目」が明白であるのに対して、「Disorder」という言葉はこの「境目」がそれほどはっきりしていないように感じます。つまり、疾患の名前として使われる、「Disorder」という言葉は、支援やケアなどによって長期的には改善される可能性があるし、健常に生活できる可能性を含んだ言葉であるように思います。何か別の訳語があればいいのにと思うことがしばしばです。

風邪をひけば呼吸器障害でしょうし、お腹をこわせば消化器障害ですが、こういう場合に偏見を持たれるでしょうか。「障害」はひとりひとりの心の中に作られた概念であり、そうであれば偏見を生むのも一人一人の人間だということでしょう。言葉の使い方にはぜひ気を付けたいものですね。

 

 

  • カテゴリー: 発達障害 |
  • 投稿日: 2014年12月21日 |

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