起立性調節障害、K君の詳しい事例から

「起立性調節障害」という体の不調をどのように考えればいいのでしょうか。今回は端折(ハショ)らずに出来るだけ詳しく、この病気を追いかけてみたいと思います。ぜひ、お時間のある時にお読みください。

K君の小学校時代=

一人っ子のK君は、小5の辺りからたびたび体調を崩すようになりました。小6では、溶連菌の感染症が続き、疲れやすく、修学旅行の直後からついに数か月の欠席が続きました。扁桃腺肥大による睡眠時無呼吸があることが分かり、思い切って切除手術。こうしたハンデがあったにもかかわらず中学受験は第一志望に合格して、まずまず順調な中学生活をスタートしたように見えました。

=中学校時代=

ところが、入学式の数日後には朝の頭痛が始まり2週間でダウン。この間、良い友達に恵まれたにもかかわらず、この後、ほとんど登校が出来ない状態が続いて、そのまま中2に。かかりつけの小児科ドクターは、「起立性調節障害でしょう。効く薬はないが、時間の経過とともによくなるでしょう」との事。漢方薬やサプリメントを飲みながら自宅療養を続けましたが、いっこうに良くならないまま、中3の6月にご両親で輝け元気!を訪ねて見えました。

=最初の面談で=

「K君は学校に行けない理由をどのように説明していますか?」という私の質問に、ご両親は、「親から見て、これと言った原因は見当たらないのです。K本人も体調不良以外は何もないと言っています」との事でした。私は、「起立性調節障害は自律神経の不調から起こる病気ですが、その背景には心理的な問題を抱えてしまって、それが引き金を引いている場合が多いですよ」とだけお伝えして、ご両親のカウンセリングを始めました。

=原因を伝えても親子関係が変わる訳ではない?!=

この最初の面談を迎えるにあたってK君のお母さんに書いていただいたメモには、敏感な子どもならかなりのショックを受けてもおかしくない事件が三つ四つ記されていました。K君のお母さんは非常に観察力のある人で、私は頼もしく感じたのですが、それらの出来事には強く言及することはしませんでした。「原因はこれこれである可能性がありますよ」とお伝えしても、親子関係が良くなる訳ではないからです。

K君とお父さんの関係は?=

その親子関係ですが、この時点で、K君のお父さんは、先の見えないK君の不登校にすっかり消耗して、K君との父子関係もほとんど最悪と言って良い状態でした。 こういう状況でカウンセリングが始まりました。

=「K君に判断させてください」=

カウンセリングを続ける中で私からご両親にお願いしたのは、「学校に行くか行かないかを含めて、何かをやるかやらないかの判断は完全にK君に任せて、K君に決めさせてください」ということ、この一点だけでした。

=爆発したKくん=

こうして日々が過ぎて行ったある土曜日、親子関係を変える出来事が幕を開けました。 その日、K君のお母さんから頂いたメールです。

「おはようございます、Kの母です。 今日はKの文化祭で、朝、行く、行かないからはじまり、思いがけずKの苦しみ悩み、私たちへの不信感が爆発することになりました。祖母を亡くした悲しみと友達を失ったことが相当辛いようです。部屋から出ていけと言われ、いま、主人と二人、どうしたものかと途方にくれています。まとまりのない文章で申し訳ありません。」

=お母さんがすでに書いていた出来事とは=

ここで「祖母を亡くした悲しみと友達を失ったこと」と言うのは、初回の保護者面談時に既にお母さんがメモに書いていた出来事です。補足しますと、

●中1の7月に母方の祖母が急死、K君はショックでその日、過呼吸を起こし、告別式に行けないという事態に。

●この事件の翌月(夏休み中)、小学校時代からの親友とビーチに遊びに行ったがそこで些細な行き違いからトラブルになり、残念ながらのちに絶好状態に。

この二つの出来事を指しています。 K君がこの時訴えたのは、この二つの出来事でしたが、これは一連の出来事の中ではいわば「とどめ」になった部分にしかすぎません。頭痛はこの前からとうに始まっていたのです。

=根雪となったストレス=

ここに至る前に、すでに根雪(ネユキ)と呼べるようなストレスがありました。

●小3の時に曾祖母(ひいおばあちゃん)の急死に居合わせた。救急車での搬送と病院での蘇生処置に立ち会うことになり、大きなショックを受けた様子だった。

●小4では、クラスは学級崩壊となり、マジメなK君には大きなストレスがかかった。

●父方の祖父母が老後の不安から近所に引っ越してきて、「爺ちゃんが死んだら婆ちゃんの面倒を頼んだぞ」という祖父の口癖が大きなプレッシャーとなり、同時に身近な人の死、それに続く家族の崩壊というイメージが、恐怖心を更に強めたものと思われた。

=すでに疲労困憊だった?K君=

このようにストレスが高じ、さらに中学受験もあって、小学校時代には既に心身共に疲労困憊(コンパイ)していたことが伺われます。しかし、あくまでK君本人は、「学校に行けないのは体調が悪いせいで、他には何の理由もない」と言っていたのです。もちろんK君が嘘をついていた訳ではなく、自分でもそう思っていたのです。

=K君の訴え=

お母さんからの次便のメールを読んでみましょう。

「心理的な要因があっての体調不良、大門さんのお見立て通りでした。『この1、2年で何もかも失った、自分だって悲しくて仕方ないのに、みんなお母さんを支えろって言う。そんなのプレッシャーで俺にはできない。にこにこ笑ってるしかなかった俺の気持ち、誰も分かってくれなかった。表面だけ合わせて、これから先、本当の友達なんか出来るわけがない。もう誰も信用できない…』と言って泣いています。でも、気持ちが出せたのは良いことなんですよね?Kの母」

=爆発を可能にしたのは親子関係の変化=

K君が爆発できたのは、両親のああしろ、こうしろという干渉が大幅に減ったからです。そして、K君は爆発出来て、初めて自分の気持ちに気が付いたという面もあるのです。堪らなくなって口を開いて、初めて悲しかったこと、辛かったこと、苦しかったことがどっと湧き出したという事ですね。大人でもこういう事って少なくないかもしれませんね。

=爆発の後=

さらにその次のお母さんからのメールを続けます。

「翌日、Kは落ち着いて、食事もしっかりとり、太鼓の練習に出かけて行きました。土曜日に、堰を切ったように話した中で、主人に対し、『今さら子育てに理解があるような父親づらするな』と言っていたので、逆に言えば、主人の変化も肌で感じているようです。 火曜日、私が学校に行き、先生から夏休みの宿題、プリント類、学園祭で作ったクラスTシャツを受け取りました。帰ってきて一式手渡すと、ひととおり目を通し、クラスTシャツも着てみるかと袖を通しました。今日も外出後、着替えにそのTシャツを着ています」。

=楽しめた家族付き合い=

「昨日は7時半起床。Kが赤ちゃんの頃から家族ぐるみで仲良くしている三家族の集まりに、家族三人で友人宅を訪ねました。それぞれ、私学に通う一人っ子、中3男子と中2の女の子がいて、大人は飲み会を兼ねて、家族で年にニ三度集まります。はじめは少しぎこちない様子でしたが、トランプや人生ゲーム、テレビゲームなどしながら十時間ほど滞在しました。学校や勉強の話題も出るので、大丈夫かな?と私の方が少し気が重かったのですが、楽しく過ごせたようでした」。

=久々に見せたK君の思いやり=

「帰り道、最寄り駅から息子は自転車、私たち夫婦は歩きです。二十分ほどかかるので、疲れるからといつもは歩くのを嫌がるKですが、なんと!私に電動自転車を譲ってくれました!『歩くの遅いからだ』とは言っていましたが、嬉しかったです」。

=取り戻した屈託のなさ=

「今日も十時半には起床。土曜日に続き、明日はまた主人が出勤なので、家族でショッピングモールに行くことに。その前にお腹がすいたというので外食に誘うと、いつもは面倒くさいと断るのですが、『よし、行くか!』と。焼き肉屋さんで、サービスランチを親子三人でお腹いっぱい食べ、その後、車でショッピングモールに行きました。太鼓の練習用にTシャツを買ったり、ハンズや電気屋さんもまわり、帰りには別のスーパーにも寄ることが出来ました。家に戻っても機嫌良く、リビングでテレビを見ながらおしゃべり、おやつをつまんで、また、焼き肉に行こう、今日は夜、三人で人生ゲームをしよう!と、屈託なく言ってくれました」。

=暗いばかりではなかったK君の家庭=

こうして読んできて、K君が爆発する前までの家庭が団らんとはほど遠い暗いばかりのものだったのかと言うと、ちょっと事情は違うようです。この辺りをK君のお母さんにもう一度、確かめてみると、

「これまで、父子関係が悪いは悪いなりに、親子三人で遊びに行ったり、ショッピングや外食、旅行にも出かけたりすることが出来てきたのです。まさか、体調不良の引き金を引くほどの深い悲しみや、言葉に出来ない辛い思いを、Kが笑顔の下に抱えてきたとは思ってもみませんでした」とのことでした。

=心のブロック=

K君が、「学校に行けないのは体調が悪いからで、それ以外に理由はない」と言い続けてきたことは、どれほど強く自分で自分の心をブロックしてきたかを表しています。逆に言えば、親でもそのブロックを見抜くことは容易ではないという事なのです。更にお母さんのメールを続けます。

=何が変わったのか=

「あの、感情が吹き出した日以来、変わったなと感じることがあります。それは、自分の気持ち、特に何が自分にとって不快に感じたのかを話してくれるようになりました。たとえば、太鼓の練習で、Kが日々感じていたこと、『大人のこういうところがおかしくない?』や、あからさまに嫌なことを態度に出す高校生に、『もう、いい加減にしろって首締めてやろうかと思った』などなど笑いながら、でも熱く語ってくれるようになりました。Kが自分の気持ちをこんなに客観的に分析して話すことは、今までありませんでした。

=プライドを横に置いてK君と向き合うことが出来たお父さん=

「Kが話す様子を主人も同じ部屋にいて聞いていたので、『自分の気持ち、話すようになったよね?』と、主人も同じように感じているようでした。主人はKが感情を吐き出したとき、内容が矛盾していても、話の論点が違うと息子に大きな声で怒鳴られても、声を荒げることなく、『どうした?』とあぐらをかいて、同じ目線で話しを聞き、『俺はどうしたらいい?間違っているところがあるなら言ってくれるか?』とプライドを横に置いて話してくれたからこそ、Kも自分の気持ちに向き合い始めたのかなと思っています」。

=すぐに学校復帰出来る訳ではない=

このK君の例は、子どもとの向き合い方を親がちょっと変えるだけで、親子関係が劇的に変わり、子どもが心の元気を取り戻すことが出来るということの典型的なお話です。しかし、だからと言って、子どもがすぐに学校復帰出来るという訳ではないのです。ここが「起立性調節障害」という自律神経の病気の難しさです。

=様々な症状は気持ちの問題ではない!=

長い間、この病気の子どもと付き合って来て感じる事は、「いちど調子が狂ってしまった自律神経はすぐには元に戻らない」という事です。子どもによって、頭痛であったり、目まいであったり、吐き気であったり、眠気であったり、心臓がどきどきしたり、と実に様々な症状が現れますが、これらは単に「気持ちの問題」ではありません。まして、仮病などという事は全くありません。この病気の治りにくさには、子どもが成長過程にあり、思春期を迎えるためにホルモンの働きが活発になる時期と重なっているという事情があるからだと思います。

=さらに一年を要したK君の回復過程=

このK君の場合も、完全な学校復帰までには、ここからさらに一年余りの高1の日々が必要でした。K君が抱えていたストレスが軽減されてから、自律神経の調子が戻るまでに、時期的なずれがあった、という事です。しかし、もしストレスが軽減されなかったらどうなったでしょうか?出席日数が問題になる高校では、退学を余儀なくされたかもしれません。

=起立性調節障害は過保護だったり過干渉だったりする家庭に多い?=

もう一つ触れておかなければいけないのは、家庭が過保護だったり過干渉だったりすると、子どもがこの障害にかかりやすいのではないか、と感じられることです。私がK君のご両親に、「学校に行くか行かないかを含めて、何かをやるかやらないかの判断は完全にK君に任せて、K君に決めさせてください」とお願いしたのは、K君が本来持っている筈の自立心を刺激して、親子関係を少しでも変えたいと思ったからです。言わずもがな、自立心が弱い子どもは、ストレスにとても弱いのです。

=起立性調節障害とは=

さて、K君の例から何を学ぶことが出来るのか、もう少し整理しておきましょう。

●「起立性調節障害」は、思春期を迎える成長期に自律神経に不調をきたす病気ですが、その病気の引き金を引くのは、心理的なプレッシャーやストレスであること

●心理的な原因を放置して、ただ待っていても、回復には長い期間、時には何年もかかってしまう事

●心理的な原因を引き出すことが出来て初めて、学校復帰までの期間を短縮できること

●ストレスを解消しても自律神経の不調はすぐには改善しない。行きつ戻りつを繰り返しながら健常になって行く

●日頃から、過保護や過干渉にならないように注意して、子どもの心に自立心を養うように親子関係を工夫する必要がある事

※「過保護だった!」と反省して、急に子どもを突き放さないで下さい。これをやると症状は悪化するばかりです。

以上、5点になります。

=最後に=

『子どもを変えるのではなく、親が変わるのでもなく、どのようにして親子関係を変えるのか?』、ここが取り組みの最大のヒントです。起立性調節障害はあなたの家庭に善いものをもたらすためにやって来ました。これを信じて、粘り強く取り組みたいものですね。

以上

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