「自分らしさにこだわり抜く個性派」

やはり「遊離型」に属する

前々回は「人がうっとうしい思考回路型」、前回は「心の中で遊ぶ平和主義者」を扱いましたが、今回のこの「自分らしさにこだわり抜く個性派」も、人と自分との間に距離を取りたい、あるいは、一線を引きたいという「遊離型」に属します。

「思考回路型」が女子よりも男子に多いと書きましたが、この「自分らしさにこだわる個性派」は、男子よりも女子に多いような気がします。ただ、そう感じられるだけで、実際にはそれほどの差はないのかもしれません。

男子がそれほど目立たないのに対して、このタイプの女子はけっこう目立つ人が多いように感じます。大変に個性的で魅力的です。読んでいって「女の子」のイメージばかりが浮かぶ方は、注意して、このタイプには男の子も少なくないのだと時々思い出しながら読んで下さい。

「自分は他の人と違う」

このタイプの人はかなり早い時期から「自分は他の人と違う」と感じ始めます。人と違う自分をだれも理解してくれない、そうして「自分がほかの子と違うために両親も自分のことを愛してくれない」と感じることが多いです。

三歳の頃から気にくわないことがあると、もう一度最初からやり直さないと気が済まない性分が出てきます。たとえば、お母さんが自分を玄関口において先に車に行ってしまったりすると、泣いて怒ってお母さんを呼び戻し、手をつないでもらって車まで行き直すというような自己主張が出てきます。そして、この自己主張のせいで人にとても批判的になるのですが、同時に「自分は他の人とうまくやっていくことが出来ない。自分には何か欠陥がある」とおぼろげながら感じるのです。

「自己主張できるのは母親だけ」

このタイプは傷ついたときに自分を慰めようと自己陶酔的になりますが、基本的には自分に正直です。自分の気持ちを敏感に受け止め、ごまかしたり体裁を繕ったりすることなく、自分自身を見つめようとします。ですから、他のタイプだったら参ってしまうような痛ましい体験でも、逃げずに見つめ、妥協せずに苦しみに耐えようと頑張ります。

しかし自己主張できるのはだいたい母親に限られていて、外に出ると、集団の中では「自分はうまくやっていくことが出来ない」と感じて、不機嫌そうにおとなしくしていることが多いです。時に、にこにこと作り笑いをしていることもありますが、とても無理をしている場合が多いのです。これが次第に積みあがって巨大なストレスになっていきます。

芸術的な才能に恵まれている!

このタイプは、独特の美意識があるため芸術的な才能に恵まれていることが少なくありません。ですが、表現に対する自分の要求水準がきわだって高いために、自分の作品に満足するということが少ないのです。たとえば夏休みの宿題の「自画像」を、徹夜して何回も何回も描きなおした末、登校前にせっかくの作品を破り捨ててしまったりするのです。「満足できない作品を提出するくらいなら出さない方がましだ」ということなのです。わっと泣いてベッドに倒れこみ一日中泣いているなど、親にしてみれば理解しがたい行動に見えることでしょう。「あんなに良く描けているのに!なぜ破り捨ててしまうのだろう?」と。

独りで居たい訳ではない!

このタイプが「自分は人とは違う」と感じるのは確かですが、だからと言って、本当に独りで居たいという訳ではありません。自分が人付き合いで不器用なことを知っていればいるほど、自分を理解してくれる人と繋がりたいと強く願っているのです。このタイプはいわば「きついロマンティスト」で、誰か理想の人が自分の人生に現れて、これまでそっと胸の奥底に隠してきた秘かな自分を理解し評価してくれることを待ち望んでいるのです。

「この人が私の理想の人だ」と思い込むと、友人であれ恋人であれ、自分の身に起こった恥ともなりかねない極めて個人的なことを進んで打ち明けます。自分の体験の真実を、この人なら理解してくれるに違いないと信じるからです。

人は辟易(ヘキエキ)して引いてしまう

しかし、現実には、こうした繊細で自己陶酔的、同時にドラマチックな告白に、心から共感できる人は稀です。このタイプは、相手の共感や同情が不十分なことを鋭く感じ取り、相手の常識的な反応を平凡だと言って軽蔑したり、時には憎んだりするのです。

そして、「自分が人といかに違うか」ということを軸に、また「自分らしさ」を築きなおしていくのです。それはあたかも自分自身に対して次のように言っているかのようです。

「私は私だ。誰も私のことを理解しない。私は人と違って特別だ!」。

過去を恨み呪う!

このタイプも「人がうっとうしい思考回路型」と同じように、自分が「いま、ここ」に居ることに抵抗します。しかし抵抗の仕方がまるで違います。「人がうっとうしい思考回路型」が「将来」を恐れるあまり「いま、ここ」を拒絶するのに対して、このタイプは、自分の「いま、ここ」がうまくいかないのはすべて「過去」のせいだと信じるのです。「過去がダメだった、だから、将来も絶望だ!」という訳です。

高校三年生の子が、「自分が不登校になったのは1年の時の担任の先生が辞めてしまったからだ。担任から外れたのではなく、学校をやめてしまったんだよ。あんなにいい先生はいなかったのに」と訴えたことがあります。私は、高1の時の事だと思って聞いていたのですが、それは中学1年の時の話だということが分かって驚きました。その人は、五年も前に起こった出来事を悲しみ、その出来事をいまだに恨んでいたのです。

恨みを手放したくない!

このタイプは、このように自分を傷つけた出来事や人に対する怒り、悲しみ、憎しみなど否定的な感情を手放すのが苦手です。いつまでもその痛みの中に浸っていたいかのようです。そして、自分の周りにいて人生を楽々と生きているかに見える友人知人をねたみます。実は、そのねたまれている人たちの方こそ、このタイプの人を「個性的でとても才能に恵まれている」と羨んでいる場合が少なくないのです。

実際このタイプは「自分には社会とうまく折り合っていく才能が欠けている」という思いが高じるあまり、自分が豊かに持っている他の多くの才能に気が付かないことが少なくありません。

自分が持っている「宝」に気が付いて欲しい!

このタイプのお子さんをお持ちのお母さんは実に苦労が多いです。もちろんそのお母さんの性格タイプにも依るのですが、「いったい、この子をどうやって幸せにしたらいいのだろう」と途方に暮れてしまうというお話を聞くことが少なくありません。

他の兄弟姉妹と同様に公平な愛情を注ぐ他はないのですが、繰り返しその子が持っている才能や資質を見出してあげることが必要です。そして、自分を見つめようとする力、自分に正直であるという力、誠実でありたいという思いの力、決断する意志の力、などなど自らがすでに持っている「宝」に気が付けるようにもっていきたいですね。

このタイプの子の母親は成長レベルが高い?!

ただ、このタイプが不登校になると対応は非常に難しいです。私のところでは、自分の性格を手掛かりに、自分がなぜ悪循環の輪にはまってしまうのか考えて頂くように、そして自分のなかにどのようなスキーマー(思い込み)が隠れているのか気付けるようにカウンセリングを進めています。

カウンセラーにとって難しい子である以上に、親にとっても非常に難しいタイプであることは間違いありませんが、どういう訳かこのタイプの子の母親には成長レベルが高い人が多いように思います。

乗り越えると内側から輝く!

しかし、このタイプはいったん過去の恨みつらみを手放し、悲劇のヒロイン(ヒーロー)でいることを止めようと決心すると、内側から輝きます。自分の存在意義に気が付き、本当の自分らしさと自分の持っている才能に目覚めるからです。こうなるとはつらつと立ち上がり、努力し、いつも自己刷新しながら前進していきます。

 

かけがえのない日々を今生きている

注意しなければならないのは、不登校になるのは何もこの遊離型の三つのタイプだけという訳ではないことです。もちろん他の性格タイプも不登校になります。言い換えれば、人間だれしも「命の泉」が枯れ果ててしまう時があるということになります。

そして、性格タイプによって「どのように呼び水を注ぐか」、加減がそれぞれ異なりますし、「命の泉」がよみがえるまでの時間も異なります。当会では四原則を掲げていますが、これさえやれば不登校は100%治る式の克服方法というのはありません。

しかし、何よりもまず、親が、共感することもなく、感動することもなく、子どもがかけがえのない日々を今生きていることに注意を払うこともなく、漫然と日々を過ごしてしまう事が無いようにしたいものです。

「見ざる、聞かざる、言わざる、感じません、考えません」、こうやって嫌な事から目を背けてしまうのは、私たち大人が忙しい日常の中で、多かれ少なかれいつもやっている事ではないでしょうか?

 

親のこころがカサカサに乾いていないか?

親がまず生き生きと感じること、つまり、喜べるように生き生きとしている事、共感できるように張りつめている事、感動できるように目を見張っていること、痛いものは痛いと感じられるように敏感でいる事が大切です。

「ああ、いつの間にか子どもは〇〇歳になってしまったなあ」、なんてことでは、褒めることも、共感することも、感動を伝えることも、出来ないかもしれません。そして、それが出来ないと、子どもの命の泉はだんだんと涸れてしまう事でしょう。まずもって、親のこころがカサカサに乾いているからです。

この意味で、最初に、今回の「自分らしさにこだわり抜く個性派」のように、親が「真に自分自身を生きる感覚」を甦らせることが、どうしても必要です。

そして、いつも忘れたくないのは、不登校は何か理由≒意味があって、ご家庭を訪れたということです。

その「理由≒意味」に対して、親として、人間として、過敏でありたいものです。

以上

  • カテゴリー: 不登校 |
  • 投稿日: 2016年10月31日 |

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