「不登校」は「自分の意志」で再び登校出来るようになるのか?その2

=学校に通っている子は登校を決断していない?!=

不登校との関連で少しだけ考えて見ましょう。不登校の子が前の晩に「あしたは学校に行く」と宣言しても、まず、その意志通りに登校出来ない事はすでに書きました。では、不登校ではない普通の子は、決心して毎朝登校しているのでしょうか?そういうことではありませんね。不登校になっていない子は、学校に行くとか行かないとか、まず考える事も有りません。従って、何も決心することもなく、毎朝、学校に出かけて行くのです。

=「習慣」という行動=

この行動を「習慣」と呼びます。つまり、学校のある日に登校することは習慣になっているのですから、この行動は自由意志とは関係がありません。私たちは日々様々な行動をしながら生活していますが、その生活の中で習慣が占める割合はどれくらいあるでしょうか。きっとかなりの部分が単に習慣として行われていることに気が付くでしょう。

=いつ自由意志が必要になるの?=

朝起きて顔を洗い、髭が伸びていれば髭を剃り、歯磨きをして、食卓に行き、観るともなくテレビを観ながらトーストを食べ、いつの間にか着替えて家を出る・・・・・・・・・・。こう考えてみると朝起きてからどれくらいの行動を積み重ねた後で、「自分の意志で行動する」と言えることが必要になるでしょうか?会社に着いてパソコンを立ち上げるまで、ほとんどの人は意識することも無くいつも通りの手順で仕事を始めるのではないでしょうか?

=考える事と意志決定の違い=

その日その日の仕事が変わる人でも、仕事内容を考え、必要な調べ物をし、場合によっては上司の意見を聞きながら、仕事を片付けていきますね。ここでやっているのが「頭を使って考える」と言うことであれば、これは「意志決定」とはかなり違う事ではないでしょうか。結果的に何かが決定されていたとしても、それを実行するのはその会社なり組織なりが実行することであれば、「自らの意志で決定し実行する」という事からはかなり遠いと言わざるを得ません。まして、その指示を実際に実行する会社や組織に属する人は、「自らの意志で決定した」という実感はないでしょう。

=人は自分の意志で行動したと錯覚する=

例えば、トイレに行くというようなもっと簡単な行動はどうでしょう。「自分の意志で行動する」と言えるでしょうか。これは小にせよ大にせよ便意を催してトイレに行くのでしょうから、これは「欲求」による行動と言った方が良いでしょう。昼飯を食べるというのも「習慣」であり、お腹が空いたからと言う意味では「欲求」になるでしょう。そろそろお風呂が有り難い季節になりつつありますが、湯舟から出るという行為は「自分の意志で行動する」と言えるでしょうか?これも、体が十分に温まり、「これ以上浸かっているとのぼせそうだ」と感じて湯舟から上がるとしたら、これも「欲求」に基づく行動で、意志による行動とは区別すべきでしょう。それなのに、「十分に温まったからもう出よう」と決めたのは自分で、自分が決めたとおりに実行した、つまり、人は「自分の意志で行動した」と錯覚すると言わざるを得ません。

=野球でバッターは意志決定しているか?=

その1で陸上競技(100m等の短距離)のスタートとフライイングの問題を取り上げましたが、これはスタートの合図(号砲)を聞いて「反応(反射)」するという場合ですから、自由意志とは無関係な話しです。野球の場合はどうでしょうか?ピッチャーからキャッチャーまでの距離は、プロ野球の場合、18.44メートルと決められています。もし投手が時速150キロの球を投げた場合、このボールがキャッチャーのところに届くまでに0.44秒しかかかりません。この間に、バッターは直球か変化球か、球筋はどこへ来るのかを見極めて、打つか見送るかを決定しなければなりません。打つにしろ見送るにしろバッターは意志決定して、その決定によって行動しているのでしょうか?

=プロのバッターでも意志決定している暇は無い!=

まさに神業としか言いようがありませんが、プロのバッターはこの様な判断ができるだけの鍛錬をしていると言う事でしょうか?しかし、普通の人なら行動を開始する、つまりバットを振るまでに、予備電位を含めて0.55秒の時間が必要ですから、打とうと思った時には、球はキャッチャーのミットに収まっていることでしょう。プロ選手が猛烈な鍛錬をして、この時間を0.44秒未満に短縮しても間に合わないでしょう。つまり、プロのバッターが打つ打たないと言う行動は意志行為ではなく、「反応(反射)」だと考えられます。

ここまで、人の行動を「習慣」、「欲求」、そして「反応(反射)」という観点から見てきました。さてはて、この三つ以外にどんな人間の行動が考えられるでしょうか。

=意志の存在を疑わない人=

あなたの回りに、こんなタイプの人はいませんか。「私は子どもの頃から意志が強く、その意志の積み重ねで多くのことを成し遂げてきた。現在の地位も自分の意志と行動の賜物(タマモノ)である。自分から意志と行動を取ったら何も残らないだろう」。このタイプほど人間の意志とそれに基づく行動を明確に信じる人もいないでしょう。この性格タイプを私は「自己主張する仕切りたがり屋」と呼んでいますが、このタイプほど我が子に対して意志の強さを要求する親もいないかも知れません。

=実は恐怖心に支配されている?!!=

私もカウンセラーとして時々このタイプの親に出会いますが、話しを聞いていくと意外な事実が浮かび上がってくることが少なくありません。例えば、子ども時代に親に反抗し、罰として納戸に閉じ込められた、恐くなって納戸を出たが家には誰もおらず、家族に見捨てられ独り取り残された惨めさと恐怖心を味わった、云々の思い出です。つまり、このタイプの人が自分の意志と信じているものが、実は、見捨てられること、取り残されること、人に支配されること等々への「恐怖心」であったりするのです。見捨てられたくないので頑張る、取り残されないためにトップに立とうとする、人から支配される前に人を支配する、こうした心の動きはもちろん意識されることはありませんので、「意志行動」とは言えません。それだけに余計に強力な「習慣」や、「欲求」や、そして「反応(反射)」と結びつきやすいと言えます。これを、まとめて「無意識の情動」と呼ぶことにします。

今回は、ここまでとします。「無意識の情動」によって如何に人間が行動を左右されているか、なるほどと思われた方も少なくないでしょう。次回以降、私たち人間は如何に心の中の出来事を意識しないか、では、そもそも「意識」とは何なのかについて検討します。お楽しみに!

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  • カテゴリー: 未分類 |
  • 投稿日: 2019年12月7日 |

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