「思春期うつ病」とも言えますが、「脱愛着行動」の側面もあるT君の事例です。

T君の手記から

この投稿は、現在大学進学を目指して勉強中の高3生、T君の手記を、輝け元気!で編集したものです。夫婦喧嘩してますか?子どもの心を壊してはいませんか?ぜひ参考にしてください。

行けたり行けなかったりの3年間

僕は中1の秋から心身ともにおかしくなって、高1の秋までほとんど3年間、学校に行けたり行けなかったりを繰り返しました。

中学受験の疲れ?

私立の中高一貫校に入ったので、最初のうちはその影響かなと思っていました。というのは、中学受験の疲れが出たり、第一志望に落ちて第2志望の中学になったりしたからなのかと思いましたし、自分でもそう思おうとしていました。

丸一日眠ってもまだ眠い!

とにかく中学に入る前には一日7時間くらいで間に合っていた睡眠時間がどんどん長くなり、一日12時間以上、ひどい時には丸一日眠ってもまだ眠いという状態で、ともかく朝、目が覚めないのです。

学校のお情け?

大門さんのところに通ったのは、欠席日数が多くて高校への進学が厳しくなった中3の秋からです。学校側のお情けで何とか高校に進むことは出来たのですが、高1の夏休みまでの前期にほとんど登校できない状態になって、高1から高2への進級は我ながら絶望的だと思いました。

母親に対する甘えと憎しみ

大門さんと色々と話すうちに自分には母親に対する甘えと嫌悪感、はっきり言ってしまえば異常な甘えと憎しみが混在していて、どちらの自分も認めることが出来ないということが分かってきました。どちらの自分も認められないし、甘えと憎しみの両極端に自分が切り裂かれているのだということが分かってきました。

仲が悪かった両親

うちは昔から共働き世帯で、父は僕が小学生のころから何回か転職を繰り返し、僕が小6の時にサラリーマンを辞めて自営業を始めました。父と母は仲が悪く、何かというと母が父をバカにして公然と父の転職を非難していました。母はいわゆるキャリアウーマンで、自分は転職を重ねる度に出世して指導的な立場になって行くことを自慢し、父は逆に転職の度に収入を減らしていると愚痴を言っていました。

馬鹿正直にやっていたら生きてなんか行けない!

母は、子供達の前で公然と父をバカにしたり、更に悪いことには、父のいないところで父の悪口を僕たち兄弟に吹き込んだりしました。それなのに、旅行する度にホテルのトイレットペーパーを持ち帰ったりするので、父がいけないことだと言うと、逆ギレして「清く貧しくなんてゴメンなのよ!」と怒鳴り返すような母でした。僕たち兄弟には、「馬鹿正直にやっていたら生きてなんかいけないんだからね」と繰り返し言い聞かせるような母親でした。

気が付くと涙が・・・・・

いま思い返すと、父は中1の秋から僕を大学病院や漢方医に連れて行ってくれたり、いよいよ原因が分からないとなると精神科に連れて行こうとしました。僕は激しく抵抗しましたが、高1の5月には学校に欠席を連絡することも出来なくなり、目が覚めた後も何時間も放心状態で、何も感じることも考えることも出来なくなりました。別に悲しい訳ではないのに、気が付くと涙が溢れていました。

診断は思春期うつ病

どうにでもなれと思って精神科に行きましたが、思春期うつ病で、それに効く薬がないからカウンセリングを受けろと言う話になり、何回か父の送り迎えで病院に通いましたが、そのカウンセラーさんとはとうとうまともな話は一度も出来ないまま終わりになりました。

壁を殴って指を骨折

中学時代からの友人が心配して電話をかけてきてくれたりしたのですが、その時は嬉しく話が出来ても、電話を切ると猛烈に苦しく悲しくなり、壁を何回も殴って指を3カ所も骨折しました。

「生まれて来てよかった?」

あの頃のことが良く思い出せないのですが、父が大門さんを家に呼んでくれたのだと思います。いきなりやって来て、「N君、生まれてきて良かった?」と訊(キ)かれたのです。何も答えられなくて、でも泣き声だけがこみ上げてきました。父も泣いていました。大門さんは明るく笑いながら何かしゃべっていましたが、大門さんも泣いていたように見えました。

ちゃんと感じられるようになった!

それから、母のこと、父のこと、何より自分の事が良く分かるようになり、考えたことを言葉に出来るようになりました。というより、ちゃんと自分の気持ちを感じられるようになったという方が正しいと思います。

怒りが軽くなるのが見えるよう!

母から旅行に行こうと誘われてもきっぱりと断ることが出来るようになり、母に対して自分の軽蔑や憎しみを言葉で投げつけられるようになると、怒りが軽くなるのが目に見えるようでした。

母を否定することが出来なかった!

幼かった僕には父の愛情は見えず、母の愛情が欲しかったのだと思います。だから、母に甘えるために母を否定することが出来ませんでした。

エゴで愚かな愛

大門さんは「君のお父さんの君に対する愛情は強くて深い。お母さんの愛情はエゴで愚かだ。けれども、その強さ深さはお父さんと変わらない」と良く言いました。今は母と普通に話をするようになりましたが、今でも話していて母に対する軽蔑の念が湧いて来ることがあります。無理に母を許すことはいけない事だと大門さんは言ってくれるので随分と気が楽になります。母を憎み軽蔑することをもし責められていたら、自分はどうなっていたか分かりません。

乳離れした自分の証(アカ)し?

自分では、この軽蔑の念こそ母から乳離れした自分の証しのように感じるのですが、父はこのことを言うとあまり喜びません。母がいなかったら僕も弟もいなかったのだからと言います。

相反するものが渦巻いている!

大門さんは、愛も憎しみも、尊敬も侮蔑も同じこころに同時にある。それが渦巻いて揺れ動くのが人の心で、その動きを見つめ感じられることが何より大切だと言います。まだその境地には達しませんが、いま高3で大学受験に取り組めている自分を素直に喜びたいです。

学校にも感謝!

去年の4月に高1から高2へ上げてくれた学校にも感謝しています。たぶん第一志望に合格していたら僕のような落ちこぼれは相手にしてもらえなかったと思います。諦めずに目をかけてくれたのだと実感があります。

その時には分からない!

人生いろいろあって、良かったか悪かったかなんて、その時には分からないのだとつくづく思います。来年の大学受験も同じで一生懸命やるだけやって受かったところに行けば良いんだと割り切って考えられるようになりました。苦しかったこの経験を活かせるように生きて行きたいと思っています。                     以上

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