親元を離れた大学時代に苦難はやってきました。Cさんのインタビューより。(前半)

Q1 いつから不登校になりましたか? 期間は?

=訳の分からない苦しみ=

大学3年でゼミに所属してからすぐに行けなくなりました。希望のゼミに入れなかったこともありますが、大学入学当初から人間関係に疲れ毎日が苦しくて仕方がありませんでした。それでも教養課程では友達とも何とか続いていたしボーイフレンドもいたし、それなりに大学生活を楽しめる時期もあったのです。でも、そういう時期はほんのしばらくしか続かず、すぐに自分でも訳の分からない苦しみが襲ってきて自分で自分をコントロールすることがどんどん難しくなりました。

=気力を振り絞って=

大学に行けばへとへとに疲れて、帰宅すると翌朝までただひたすら眠るような日々が段々と続くようになりました。大学には計5年間籍を置いていたことになります。大学の3年目には試験だけ受けたりレポートだけは提出して単位を取る気力があったのですが、4年目の夏以降はみんなの就職活動をよそにほとんど引きこもり同然の状態になりました。みんなが卒業していった後の5年目に気力を振り絞って出ようとしましたが1ヶ月と持ちませんでした。この時に自分の対人恐怖を自覚し、9月に休学の手続きをとりました。

ここでカウンセリングを受け始めるまでほぼ3年間不登校で、その後の1年間は引きこもり同然でした。

Q2 不登校になった原因は?

=分からなかった生き辛さの訳=

今は自分の人間関係の作り方に問題があって、それは子供の頃からの完全主義と秘密主義が大きな原因になっていたのが分かりましたが、当時は自分が何故こんなにも生き辛いのかその訳が分かりませんでした。

=偽りの自己像=

自分が人に対して嘘ばかりついていることは知っていました。でも、それが普通で特に変わったことだとは思っていなかったのです。嘘を嘘で塗り固めたような人生でした。一度嘘をつくとその嘘に合わせて完全な自己像を作り上げ、それを完璧に演じきっていました。

こういう生き方が小学校の高学年から始まっていました。明るく親切でスポーツ好き、勉強も良くできるし、それでいて自慢したりしない完全な人間を演じていました。一言で言えば、人から好かれ頼りにされる温かい人間になりたかった。

=嘘に疲れて=

でもそれは本当の自分ではないから、友達は、小学校は小学校時代でおしまい。中学校になると学年毎に友達がきれいに入れ替わって、一年以上続く友達はいなくなりました。嘘に疲れて1年ごとに嘘の精算をしなければならなかったのです。

=何も信じない自分=

高校時代になると友達を作るのが嫌で嫌で仕方がないのに、今度は自分が嫌われるのではないかとか、いじめに会うのではないかとか、そんな心配で胃が痛む毎日でした。自分が友達を少しも信用していないことは分かっていましたが、自分自身も信用していないとはこの頃思ってもいなかったのです。まだ強かったのだと思います。それに大学受験が私を救ってくれて、高校3年の時は比較的楽に過ごすことが出来ました。

=虚しかった大学入学=

第一志望の大学に入れたので、何か今までとは違う人生が始まるような期待がありました。でも大門さんが良く言う「自分に素直に正直に」なんて思いもしませんでした。相変わらずどうやって自分を完璧に演じるかという自分しか見えませんでした。講義にほとんど毎日一緒に出る友人に対しても本心を打ち明けるなんて思いもしないことでした。

=失われていく現実感=

ボーイフレンドは振られた格好にしたのですが、彼に愛情の一欠片も持っていなかったので、本当にほっとしたのです。でも人間関係に対する疲れはひどくなる一方でした。人と一緒にいると頭痛や冷や汗、めまい、胃痛、下痢など全身に異常が現れ、特にひどい肩こりに苦しみました。不眠症もひどくて、夜寝ても寝た気がしなかったのです。

第二志望のゼミに初めて出たときには、もう自分がその場にいることが実感できませんでした。何かぼうっとしていて現実感がまるでありませんでした。

Q3 いつ頃が一番辛かったですか?

=診察室から逃げた私=

母が心配して上京しては私をいたわってくれました。それが嫌だったし辛かったのです。父の紹介で精神科に行ったのですが女医さんに「何か喋ってみてください」と言われて一言も何も言葉が出ませんでした。そうしたら「なに、この子、一言もしゃべれないじゃない」と言われて、泣き叫びながら診察室から逃げました。

=自分が嫌いだった=

しばらく実家に帰ってひっそりと過ごしましたが、家族の前でまた元気な良い子を演じていました。母に心配をかけたくなかった。でも私が元気にしていると母はもう良くなったと思って大学のことを言い始めるのです。こんな母のことを憎みました。その事で私は自分が大嫌いだと言うことに初めて気が付きました。でも為す術はありませんでした。

両親を安心させるためにカウンセリングに通いましたが、いつものように嘘を喋るか、嘘が言えなくなると言葉が何も出ず、ただただ涙が溢れました。

=それでも続けた母への嘘=

実家と下宿を定期的に往復していました。母がせがむと東京に逃げ帰ると言う生活でした。東京では一日大学に行くために3日こころの準備をし、大学から帰ってくると3日間寝ているというような状況でした。それでも母からの電話には大学に行っているような嘘をつき続けていました。

ここで前半を終了します。後半をお楽しみに!

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