エッセイ「曙光(ショコウ)」母を失った娘の思い 第2回 ロイ

=ロイ=

マンハッタンまで電車でも車でも一時間半くらいの場所なのだが、私の住んでいたところは自然豊かだった。住宅地は平屋の家を芝生が取り囲み、隣家との境には植え込みやせいぜい低い柵しかなく、所によってはその柵さえもなかった。草木は伸び放題で、特に道端や庭の雑草はひどく、近所一帯で定期的に手入れをしなければならない程だった。その中にかなり手を焼く雑草があった。Poison Ivyと呼ばれる漆科の蔦なのだが、見た目はそこらの雑草と変わらない為、子どもばかりか大人も間違えて触れてしまい、酷くかぶれてしまうことがあった。大人たちがタンポポやら蔦やらの駆除に必死になっている姿を見て、なぜだろうと思ったことを覚えている。私には雑草という概念がなかったからだろう。

 

こうした近所付き合いの中にロイが居た。ロイは隣家の白人のお爺さんだった。歳はもう八十近くで、仕事こそリタイアしたようだが、見かける時には必ず襟付きのシャツをきちんと着ているような人だった。白髪で、眉毛は目にかかるほど太く、「お爺さん」という言葉を体現しているような風情だった。彼の家は近所の中でも大きく、赤く塗られた壁に白の縁取りがあしらわれて、どこか農場の家を思わせるような外観だったのを覚えている。この大きな家に住んでいるのはロイ一人で、子ども達はとっくに独り立ちしているようだった。奥さんにはずいぶん前に先立たれたと聞いたことがある。ロイの子ども達が家を訪ねてくる様子はなく、私が覚えている限りロイはいつも独りだった。大家さんの話では、ロイはカメラ片手に世界中を旅するのが趣味で、家を空けることが多いという事だった。

この辺りでは長期間家を空ける時には近所に声をかけて出掛けるというのが普通になっていた。いつの事だったか、お向かいの家族が旅行に出かける間、飼い猫の世話を頼まれたことがあり、動物が好きだった私は母について一緒に餌をやりに行く事にした。猫は日中外で放し飼いにされており、餌の時間になると家に戻って来るとの事だった。最初のうちは私たち親子を警戒していた猫も、何日か経つと足元にまとわりついてくるようになり、撫でると喉を鳴らして喜ぶほどになった。

ある日、いつものように餌をやりに行くと、猫が子ウサギを咥えて帰って来た。この辺りには野生のウサギがたくさんいたのである。猫は私たちの方に差し出すようにウサギを置くとどこかに行ってしまった。母と私がどうすればいいかと慌てふためいていた時に、偶然ロイが通りかかったので事情を説明すると、ロイはオーケー、オーケーと笑いながら迷いもなく死んだウサギを手に取り、それを無造作にぽいと庭先のゴミ箱に放り投げたのだった。私たちはしばらく黙ってそのゴミ箱を見つめていた。そして言葉も交わさずに家に戻った。その時、「ロイってすごいんだ」と思ったことを覚えている。なぜすごいのか。そのウサギは命を失った細胞の堆積に過ぎないという感覚がすごいのだろうか。今思い返してみるとロイの仕草にはごみを捨てる様な冷たさはなかったように思う。実際、私はその時、ロイを冷たい人間と感じたわけではなかった。

(続く)

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