いわばナイチンゲールのような人、「自己犠牲を厭わない献身の人」

前回は、「不登校児の親に多い性格タイプ」の第1位として、「自己主張する仕切りたがり屋」(ジャンヌダルク型)を扱いました。

今回は第2位として「自己犠牲を厭(イト)わない献身的な人」を扱って行きます。このタイプは、イメージ的には「ナイチンゲール型」と言って良いでしょう。

第2位ではありますが、第1位とは僅差です!いい勝負かもしれません!

=献身的な母親なのに何故??=

犠牲的な精神をもって献身的に我が子に尽くす親としての姿は、他のどのタイプにも劣るところがありません。優しく包容力に富み人を理解しようとする力にとても恵まれています。それなのに、なぜこのタイプの親は我が子の不登校と言う問題に直面しやすいのでしょうか。第2位とはいっても、1位との差はごく僅かです。実質的には1位の「自己主張する仕切りたがり屋」とほとんど変わりません。なぜでしょうか?

=多くの人を惹きつける魅力的なお人好し=

このタイプは、ホーナイの性格類型では「協調型」に属します。思いやりがあり、それゆえ人間関係をとても重視します。寛容で人を喜ばせることが好きですし、事実、苦も無くそれをやってのけるだけの表現力にも恵まれています。お人好しですし、おせっかいと言って良いほど、人のためにわざわざ何かをやってあげることに自分の存在価値を見出します。献身的な姿勢と優しい態度は多くの人を惹きつけます。ですから、このタイプは自分が人の為になっていると感じられるときに、自分が最も豊かで意味のある生き方をしていると信じ、喜びに輝きます。

=不登校の子を助けようとする側に立つ!=

不登校との関わりで見てみると、自身が不登校になることは滅多にありません。むしろ不登校になりかけている友達を励まして助けようとする側にいます。友達が学校に来ないことを心配して、放課後、その友達の家を訪ねたりします。自分が不登校になるなどと言う心配はほとんどすることがありません。愛とか友情とか親しさを分かち合う事で自分の気持ちを温かくし、それを「学校に行けない友達」に上げたいと願います。事実、不登校の子はこのタイプの子が味方に付いてくれると、「集団の中の孤独」を感じないで済むので、とても助けられる場合が多いのです。

=自分には価値がないのでは?という恐れがこころの底に!=

しかし、このタイプの内面はお人好しの外見ほど単純ではありません。このタイプがなぜ自己犠牲を厭(イト)わず、献身的に人に尽くすのかと言うと、こころの奥底に「あるがままの自分には価値がないのではないか」という大きな恐れがあるからです。人から愛してもらうには、いつも人のことを優先し、人を愛し、無私でなければいけないと信じているかのようです。問題なのは、こうして人を自分自身よりも上位において、自分よりも人を優先しなければいけないことに、秘かに怒りや憤りを感じているということなのです。もちろん、自分ではそういう否定的な感情を無意識に押さえつけて、認めようとはしないのですが、最終的には怒りや憤りが爆発してしまう事が少なくありません。

=この性格タイプのジレンマ=

人に自分の寛容さや優しさ、愛情の深さを認めてもらいたいという気持ちが満たされない時に、それが大きなストレスになりやすいのです。そういう自分自身の優れた面を認めて欲しいと思うのは、一種の「プライド」とも言えますが、自分が相手を褒めるのと同じように褒められたいし、自分が相手にやって上げた分だけ自分にもそれが返って来て欲しいと願っています。ところが、往々にして人の態度と言うのは、「あなたが好きでやっていることでしょう」という冷めた見方が多いのです。このタイプの人の押し付けがましい親切に辟易(ヘキエキ)した経験は、誰しもお持ちの事ではないかと思います。

=人が去っていくことも少なくない?=

人のつれない態度が、このタイプの「プライド」を深く傷つけます。褒めて欲しい、認めて欲しい、感謝して欲しいと思うがゆえに、人に対するこのタイプの態度は、「へつらい」と言っていいほど卑屈なものになりがちです。それでも褒めてもらえない、感謝してもらえない、求めてもらえない、という事になると、それが感情的な爆発のきっかけになります。

=自分の傷だけは無視しようとする=

このタイプは、そのプライドゆえに、ほとんど相手を選ばず人の心の傷を癒そうとしますが、自分の傷だけは無視しようとします。「私は何も要らない。私は大丈夫。私はあなたのために居るんです」と言っているかのようです。この「プライド」は「自分自身の心の傷を認めたくない、助けを求めたりしたくない」という事を表しています。このような爆発が、往々にして人を驚かせ辟易(ヘキエキ)させて、人が去っていく原因になります。人にしてみれば、「何を怒っているんだろう?この人は!!」となってしまうのです。

=子どもの自我が育つにつれて問題が大きくなる?=

このタイプの育児に見られる特徴は、子供が成長し自我が芽生えて来るのにつれて、問題が大きくなっていくことです。子どもが中学生や高校生になって反抗期を迎えると、その問題は時に恐ろしい形を取り始めます。

=自己犠牲が喜び?!=

子どもが幼児期から小学校低学年のころまで、このタイプはパーフェクトな母親を演じます。子どもの顔色を見、子どもの気持ちを察し、子どもがハッピーで居られるようにあらゆる気遣いや配慮を欠かすことがありません。二人三人の子どもを育てる母親は仕事を持っていなくとも本当に忙しいものですが、このタイプは子どもにベストを尽くすと同時に、夫にも快適な家庭を与えようと、主婦としての使命感に燃えて、家事や育児に励みます。自らを犠牲にし、献身していることが喜びなのです。

=疼(ウズ)き始める無意識の罪悪感=

しかしこのタイプは、自分が必要以上のことをしていることになかなか気付きません。子どもにも夫にも、あまりにも多くのものを与えすぎているのです。つまり、自己犠牲が好きなので、家族に対して「過保護」になるのです。子どもは成長するにつれて、「自分一人でやってみたい」「家族の一員としてお手伝いをしたい」という欲求を持つものですが、このタイプの母親は家庭を「完璧なところ」にするのに忙しく、子どもに一人でやらせるという時間的な余裕も、気持ちの余裕もありません。時に、「子どもに独力でやらせる」「お手伝いをさせる」ということに無意識の罪悪感を抱くことさえあるのです。

=「そこまでやって欲しくない!」=

子どもが一人でやりたがることを一人でやらせることは子供の成長にとって不可欠のことですが、このタイプの母親はそれを自らやってしまって、子どもから「達成感」を奪ってしまうかもしれません。何でも先回りしてやってしまうため、子どもから「自立心」を削(ソ)いでしまうかもしれません。おまけに、子どもは母親がしてくれることは「当然のこと」と受け止めます。したがって、母親に感謝するという気持ちも湧いてくることはありません。感謝を要求されたりすると、内心では「恩に着せられるくらいなら、そこまでやって欲しくない」と思っているのです。

=感謝して欲しいという気持ちはどこに向かう?=

子どもは思春期ともなれば、親に対しても批判的になるのが普通です。すると、このタイプは傷つきます。「いったい誰のおかげでここまで成長できたと思っているの」と不満を感じないではいられません。自分が子どもから愛されていると感じられなくなるのです。そして、原因は子どもにあると考えます。「いつの間にかこの子は、何という恩知らずになってしまったんだろう」という訳です。この性格タイプはタフですから滅多に体調を崩したりしないのですが、急に寝込んだりと言うようなことが起こります。思ったような感謝と思いやりを家族からもらえないので、無意識に「自分が寝込んだらどんなに大変か思い知らせてやりたい」と願うのです。子どもが音を上げて折れてくると、二度と自分から離れないように、また、二度と自分に反抗しないように、無意識に、むしろ子どもの自分に対する依存を強めようとします。こうなるともはや、母子が共依存状態になる一歩手前と言って良いでしょう。

=子どもが不登校になった時=

さて、このタイプの母親の下、子どもが不登校になったら、このタイプはどのように反応するでしょうか?

この辺で前半を終わります。後半に続きます。

 

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