性格タイプ「こころの中で遊ぶ平和主義者」

=遊離型3タイプの中の「中山脈」=

前回は「人がうっとうしい思考回路型性格タイプ」を、扱いました。不登校の性格タイプではこのタイプが一番多く「大山脈」と言えます。これに比べて、今回の「こころの中で遊ぶ平和主義者」は「中山脈」となりましょうか。このタイプも、大きな三つの分類では「遊離型(他者との距離を取ろうとする)」に属します。

=もてるタイプ=

外見的にのんびりした性格のように見えますし、事実、人との関係では控えめで周りに合わせますから、人を安心させる力があります。人柄がとても良いので上からも下からも好かれますし、先生などからも可愛がられることが多いです。言わば「持てるタイプ」と言えると思います。しかし、よく観察していると対人関係はかなり受け身である事が分かります。

=親にも言わない心の中=

このタイプの子どもは幼稚園/保育園時代からちょっと複雑な動きを見せることがあります。園の下駄箱で鋭く園庭を見渡し、ある時はそのまま園庭に遊びに出るかと思えば、ある時には教室に向かいます。親から見ると、園庭に直接行くか、園庭ではなく教室に行くかをどういう基準で決めているのか見当が付きません。本当に注意深く観察していると、実は、「嫌いな子」が園庭に居る時には上履きに履き替えて教室に向かい、その子の姿が園庭に見えないと履き替えずにそのまま園庭に行って遊ぶことにするのです。そして、そういう自分の判断基準を幼くとも明確に理解しているにもかかわらず、それを親に説明しようとはしません。

=徹底して逃げる=

これだけ徹底して「嫌いな子」を避けているわけですから、その子と仲が悪いかというと必ずしもそうではありません。避けられている方の子は「こころの中で遊ぶ平和主義者」の子をとても好いているという場合が少なくありません。ハグしたりほっぺに触ったりしたがるのですが、それがこのタイプには、距離が近すぎて煩わしいし、うっとうしいのです。表面的にはにこにこしていますが、触られたくないし静かに放っておいてほしいのです。「やめて!」と言えばいいのですが、それが言えません。つまり、「嫌いだから遊びたくない」と言わなければいけない状況から徹底して逃げるという行動をとります。

=ハッピーなことは心の中で起きる=

嫌な状況から逃げてばかりいるわけですからさぞかしストレスになるだろうと思うかもしれませんが、一定の限界があって、それを越えなければストレスに苦しむそぶりは見せません。嫌なことがあっても、このタイプは本当に大切なことが心の中や想像の世界で起こりますから、ストレスが限界内であれば、現実世界から離れて、自分の心の中で十分に楽しむことが出来るのです。

=ある父親の話=

このタイプの子を持つお父さんが相談に見えて、しみじみと語ってくれました。その家族はスキー一家で毎年冬には二度三度とスキー場に行きます。その女の子は、「よし、これからリフトに乗っていざ滑ろう」という時に、「おしっこ」と言うのだそうです。せっかく履いたばかりのスキーを脱がせてトイレに連れていくとなかなか出てきません。やっと出て来てまたスキーをはかせて、お父さんはその子を膝にのせてリフトに乗ります。その子はリフトの終点からレストハウスのある麓まで、それなりに楽しそうに滑り降ります。

=また「おしっこ??」=

お父さんが当然のように、もう一度リフト乗り場まで行くと、その子はまた「おしっこ」と。「さっき行ったばかりだけど、またおしっこなの?」と聞くと、にこにこしながら大きくうなずきます。仕方なく、またレストハウスに戻りトイレに連れていきます。また、なかなか戻って来ません。お父さんは外に出てタバコを一服し、さらにトイレの出口でその子が出てくるのを待ちますが、まだ出てきません。たまらずトイレの出口から中に向かってその子の名前を呼びます。「〇〇、まだ?」。返事はありません。

=「私がここで待って居てあげる!」=

ふとレストハウスの中ほどを眺めると、何とわが娘が土産物売り場で何やら嬉しそうに商品を手に取って眺めています。「なんだ、出ていたのか。早く滑りに行こう」と言うと、「パパ、お腹減ったね」と言います。「じゃあ、もう一本滑ったらお昼にしよう」と父親がいうと、その子は、「〇〇(自分)がここでママとニイニイを待っていてあげる」と言うのです。

=言おうとしない本音=

要するに、その子の本音は「お外は寒いしスキーはもう嫌。滑りに行きたくない」ということなのです。でも、実際にそう言って駄々をこねると、お父さんとの間の平和をこわす事になるので、その事態を避けられるような配慮をして、こういう言動をとっているのです。

=その娘が中2で不登校になって=

お父さんの嘆きは続きます。

「今回中2で、娘が不登校になって何が困ったかというと、なぜ学校に行かないのか、その理由を少しも説明してくれないということです。私は、自分が父親として娘とはとても仲が良いと自負していました。ところが、何をどう聞いても泣いているばかりでさっぱり埒があきません。娘は成績だって良いし、音楽だって、美術だって、体育だって人並み以上にこなします。友達だって多いし、映画や演劇にも興味があって人一倍、感受性も豊かなのではないかと思います。ところが何としても、学校に行かないことについては口も心も開いてくれません。そして、毎日毎日、寝てばかりです。横になっているのではなく、ほとんど一日中まどろんでいるというか、真っ白な顔をして実際に眠っているのです」。

=このタイプは「はんぶん病気」になることが多い?!=

このタイプの子どもは、実際、思春期に「起立性調節障害」や「睡眠障害」を起こすことが多いように思います。また、おなかの調子が悪くなる「過敏性腸症候群」というのも少なくないように思います。

=周囲には容易には読み取れない!!=

実際にこのタイプは、自分自身に「目覚めているか、それとも眠っているか」、「緊張しているか、それともリラックスしているか」、「平和を感じているか、それとも痛みを感じているか」、それぞれどちらか一方の状態であることが少なくありません。どちらでもない、中間の時というのが少ないと言えるかもしれません。それなのに、周囲には、今何を感じ考えているのか、それがさっぱり分からない、ということが少なくないのです。

=見ざる聞かざる言わざる=

対人関係でつまずくと、人との関わりから遠ざかります。人に対してよそよそしくなり軽薄で冷たくなることで、繋がりから発生するストレスを出来るだけ感じないように、自らを守ろうとするのです。つまり、バランスが崩れると自分自身を平和に保つために、自分の中のあらゆるものを鈍く不活発にし、「見ざる、聞かざる、言わざる」状態になるのです。

=しかし、意外な頑固さが顔を出す=

こうなると、今まで見えなかった強情さ、つまり干渉されることをかたくなに拒否する頑固さが顔を出します。それどころか、悪くすると、「何も感じない、何も考えない」というマヒ状態になることさえあり得ます。このタイプにとって誰かと対決したり、自己主張したりする事はもちろん、自分が何をどう思っているか誰かに説明しなければいけない事態さえ、恐るべきことなのです。

=ストレスのはけ口を自ら塞いでしまう!?=

このタイプもいったん不登校になると元気を取り戻すのは容易ではありません。逃げて逃げて逃げまくりながら、それでもたまり続けたストレスがものすごい重みとなって、他ならぬそのストレスのはけ口を塞いでしまったかのようです。

=「自分自身でいること」から逃げる!=

言葉を代えると、このタイプは「真に自分自身を生きる感覚」を見失いやすいのです。この「真に自分自身を生きる感覚」というのは「自分らしさ(アイデンティティ)」を見つめるということと切り離すことが出来ません。

=限界を超えた時にやって来るものは?=

例えば、次回登場する「自分らしさにこだわる個性派」は、自分らしさを見つめて痛みや苦しみから目を背けない特徴があります。これは言い換えれば「真に自分自身を生きる感覚」を大切にしているということです。これに対して「こころの中で遊ぶ平和主義者」は自分自身から逃げてしまい自分自身を見つめることを避けるのです。つまり、苦しかったり嫌な思いをしたりしてまで「自分自身でいること」に価値を見出さないと言って良いかもしれません。だから、ある限界内ではたいてい譲歩してしまうのです。そして、その限界を超えて譲歩してしまった時にやってくるのが、反抗や対決ではなく「不登校」ということになります。

=眠っている力=

カウンセリングでは、本来このタイプが持っている「力の感覚」を思い出してもらう様に努めます。「力の感覚」って何?こういう性格タイプに「力」なんてあるの?と疑問に思われるかもしれません。しかし実際、このタイプは、本来、他の性格タイプが持っているあらゆる「力」を持っています。前回扱った「人がうっとうしい思考回路型」が持っている「知性(考える力)」、「自分らしさにこだわる個性派」が持っている「創造性(美的センス)」、冒険を楽しむ「好奇心」、人に対して尽くす「誠実さ」、高い「理想」、人を受け入れる「寛容」、そして何より人に平和をもたらし、あらゆる困難を楽々と運ぶ大河のような「力」です。

=インド建国の父ガンジー=

いろいろ伝記を読んでみますと、例えば、南アフリカで黒人初の大統領となったネルソン マンデラ氏や、インドをイギリスの植民地支配から救った不服従運動のガンジーがこのタイプではなかっただろうかと思います。

=本来の自分自身に目覚める!=

要するに、このタイプが本来持っている「自分らしさ(アイデンティティ)」をしっかりとつかみ直し、自らが持てるものを総動員すれば、現実にしっかりと取り組み、その取り組みを最後まで貫くことが出来るのです。そしてその時の感覚こそが「真に自分自身を生きる感覚」なのだと悟ってもらうように努めます。これは、自分自身にもう一度目覚めるということと同じです。

=世界とつながる!=

自己実現の結果、このタイプは落ち着きを取り戻し、穏やかでいながらダイナミックな存在感をもって、しっかり世界とつながることが出来るようになります。

=誰しも命の泉は涸れ果てる時がある=

注意しなければならないのは、不登校になるのは「遊離型」の三つのタイプだけという訳ではないことです。もちろん他の性格タイプも不登校になります。言い換えれば、人間だれしも「命の泉」が枯れ果ててしまう時があるということになります。

=これさえやれば大丈夫という方法はない!=

そして、性格タイプによって「どのように呼び水を注ぐか」、加減がそれぞれ異なりますし、「命の泉」がよみがえるまでの時間も異なります。当会では四原則を掲げていますが、これさえやれば不登校は100%治る式の克服方法というのは、ありません。

=子どもは かけがえのない日々を今、生きている=

しかし、親としては何よりもまず、共感することもなく、感動することもなく、子どもがかけがえのない日々を今生きていることに注意を払うこともなく、漫然と日々を過ごしてしまう事が無いようにしたいものです。

「見ざる、聞かざる、言わざる、感じません、考えません」

こうやって嫌な事から目を背けてしまうのは、「こころの中で遊ぶ平和主義者」だけの専売特許ではありません。多かれ少なかれ我々親も、そうやって大切なものを見過ごしているのかもしれません。

=親のこころがカサカサに乾いていないだろうか?=

親がまず生き生きと感じること、つまり、喜べるように生き生きとしている事、共感できるように張りつめている事、感動できるように目を見張っていること、痛いものは痛いと感じられるように敏感でいる事が大切です。

「ああ、いつの間にか子どもは〇〇歳になってしまったなあ」

もしこんなことであれば、褒めることも、共感することも、感動を伝えることも、出来ないかもしれません。そして、それが出来ないと、子どもの命の泉はだんだんと涸れてしまう事でしょう。まずもって、親のこころがカサカサに乾いているからです。

=生きることに過敏(カビン)でありたい=

この意味で、最初に、親が「真に自分自身を生きる感覚」を甦らせることが、どうしても必要です。そして、いつも忘れたくないのは、不登校は何か理由≒意味があって、ご家庭を訪れたということです。

「心の中で遊ぶ平和主義者」のことを考えるとき、私たちは、生きる「理由」と生きる「意味」に対して、人間として、親として、過敏でありたいものですね。

以上

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