タツヤと私と起立性調節障害

うちの息子タツヤは、今(2016年4月現在)、高校1年生です。

そのタツヤが「オレのことはブログで書くな!」って言っていますので、仮名で書かせていただきますね。(笑)

通学時間1時間半くらいの私立の中高一貫校に通っています。

部活は1年生の1学期はソフトテニス部に入っていましたが、体調が悪くなり2学期に休部。3学期から7ヶ月間学校に行けなくなりました。でも中2の夏休み明けの2学期に学校復帰、3学期には剣道部に入り直し、中学での部活も楽しむことが出来ました。内部受験でしたが、今は高校受験が終わって、ホッと一息。部活も再開し、高校生活に向けてちょっと張り切っている(^^)?という状態です。

 

これから、タツヤと私の起立性調節障害と向きあってきた3年を振り返ってみたいと思います。

 

2013年 春 中学入試に合格

タツヤは中学受験を乗り越え、希望していた学校に合格し、楽しい中学生生活を始めていました。ソフトテニス部に入り、勉強もがんばって、1学期の定期テストではなかなかの好成績。ソフトテニス部は、かなりハードな部活でしたが、片道1時間半の長距離通学と併せて、とても頑張っていました。

 

2013年 猛暑の夏から2学期へ

ものすごく暑い夏でした。部活三昧のタツヤ。さすがに夏休みの最後は宿題もたまり、部活をお休みして睡眠時間も削って宿題、宿題、また宿題…。そして夏休み明けのテストは・・・、残念ながらボロボロでした。

そんな2学期のスタートだったのですが、なんだかタツヤ、朝起きるのがものすごく辛そう…、どうしたのでしょうか?

タツヤはもともと朝起きるのは苦手でしたので、始めは、夏休み最後の宿題の追い込みで睡眠不足が続いていたからだろうと思っていました。でも、何週間か経っても相変わらずなかなか朝起きられず、1学期には毎朝自分で歩いて駅まで行っていたのに、私が毎日駅まで車で送る日々が続きました。

「起きられないんじゃ、部活もできないよね」という感じで、自然と部活もお休みすることになっていきました。

そして、朝起きにくいだけではなく、全く起きられずに学校をお休みすることもだんだん多くなって、私も「なんだかおかしい…」と感じ始めました。

病院へ検査に行きましたが、特に異常はなし。食餌療法などもやってみましたが、少しいいかな…、くらいで大きな変化は現われませんでした。

2学期はお休みが多くなっていたものの、学校へはなんとか行っていて、無事(?)修了式を迎えました。

 

2013年 暮れから年明け3学期

年末年始はあまり元気はないものの、いつものように過ごし、少しは体調良くなったかな?、と思いながらの3学期スタート。始業式は、学校へ行きました。

ところが、翌日から全く起きられなくなり、この日から学校へ行くことができなくなってしまったのです。

しばらくは、私もちゃんと起きてお弁当を作り、タツヤを起こす日々でした。でも朝は全く起きられず、自分から起きてくるのはやっとお昼すぎ。これじゃあ、学校行くなんてしばらく無理だよね…と私は半ばあきらめ、お弁当をつくることも、朝起こすこともなくなっていきました。

タツヤの状態はただ朝起きられなくて、身体がだるそう…、なだけ…、それだけ…。睡眠時間は1日の半分以上!でも、夕方は元気になって、妹と遊んでいる…。「いったいこれはなんなの???」と私の心の中はすっきりせずにいる日々…。学校が嫌で行かないわけではなく、ただ起きられない、だるいだけ。タツヤ本人は学校に行きたいという気持ちはあるのです。

 

2014年 新春、辿り着いたブログ

そんなある日、ネットでいろいろ巡っていたら、いつの間にか「起立性調節障害」のことが書かれたブログにたどり着いていました。

「朝起きられない!夕方元気!うちの子と同じ!!!」「これだ~~~!!!」

やっと、タツヤが陥っている状況がわかって、私自身ものすごくホッとしたのを覚えています。

すぐに、小児科を受診し、起立試験をしてもらい、やはり起立性調節障害との診断を受けました。タツヤ本人も私も、なぜこのような状態になっているのかがわかって、本当にほっとすることができました。

この受診で処方されたお薬は、「メトリジン」。しかし、しばらく飲んでいましたが、タツヤは「効かない!」と言って、飲むのを止めてしまいました。

「起立性調節障害」とわかって、学校にもその旨連絡し、しばらくは登校出来ないであろうことを伝えました。学校にはとても柔軟に対応してもらえたと思います。担任の先生や学年主任の先生がときどきうちまで見えて、タツヤと話をして下さったり、「まずは体調が戻るのが最優先」と言って頂いたり、かなり心理的には楽に過ごせました。

タツヤには何も言わず、やりたいようにさせ、私も長期戦の構えで、仕事や自分の趣味などもそのまま続ける日々を送っていました。

 

2014年 春

タツヤの体調は3月ごろまではお昼近くまで寝ていましたが、代替療法(BSセラピー、生体ミネラル摂取)などを試していく中で、だんだんと早く起きられるようになり、4月ごろには9時か10時くらいに起きられるようになってきました。

 

2014年4月 中2の新学年の始業式

「始業式は、まだ行けないだろうな…」と言う感じで、朝本人を起こすこともなく、中学2年の1学期が始まりました。

4月から5月にかけて、少~しずつ体調は上向きなのかな?でも大きな進展はなし、という状態が続いていました。9時から10時ころ起きてきて、ゲームか、漫画か本を読むだけの生活。

妹が学校から帰ってきたらちょっと一緒に遊んだり…。私も「勉強しなさい」とか「学校は?」とかいう話題は避けていました。とにかく、とことんタツヤがやりたいようにさせる、タツヤがしたいことを自由にさせようと思っていました。

 

2014年5月 え!修学旅行?

そんな中、タツヤと話をしていると、「修学旅行に行けるかな…」と私に言ったのです!!!

修学旅行?、行きたいのか、行きたいんだ…と思った私。「起立性調節障害」になってから、初めて見せる意欲のようなものでした。

そんな時、同じ起立性調節障害だったお子さんをもつ、「きりむさんのブログ」で、大門先生の「めだかのがっこう」のことを知りました。

この「めだかのがっこう」は、不登校の子どもをもつ保護者向けのコーチング講座だとのこと。曰く、

「子どもが学校に行けないのは、その子の『命の泉』が枯れてしまっているから…。」

家庭での「親」の行動、意識を変えることで、「子どもの命の泉を復活」させ、明確に夏休み明けから学校に行けるようにしましょう、というものでした。

今から思えば、体調は上向きなのを感じるけれど、あまり大きな変化もなく、でも「修学旅行」に行きたいという思いをタツヤが見せてくれたという、ちょうどそのタイミングでの出会いでした。

大門先生にさっそく問い合わせをし、6月から受講を決めました。

 

2014年 初夏 「めだかのがっこう」

この講座の中で、毎日実践したことは、子どもを育てるうえで本当に必要なこと、でも私がそれまでなかなかうまく行動出来ていなかったことでした。

それは、子どもをまるごと認め、愛していることを伝えること!また、親が自分の思い込みなどに気づき、それを手放していくことによって、子どもに対する対応に変化をもたらすというものでした。子どもに自信を持たせ、愛を伝えて、命の泉を再び湧き上がらせる…。シンプルでいて、一番大切なこと、それをこの講座で教えていただきました。

思っていても、ちゃんと伝えていないことの多さ、伝えないと伝わらないんだ、という事。子どものことも、また自分自身の事も、より理解できるようになっていきました。大門先生は、子どもに対する対応などで相談すると、経験に裏打ちされた的確なアドバイスを頂けて、自信をもって私自身行動することが出来ました。

そして、学んだことを実践するにつれて、タツヤは少しずつではありますが元気になってきました。朝は、9時くらいに起き、お昼ご飯を私と一緒に作ったりすることも多くなってきたのです。振り返ってみると、タツヤは、小さいころから料理が好きで、自分から何かやり始めたのはこの料理からでした。

 

2014年 夏 ゲーム切り

そして、このコーチング講座の終盤を迎えました。ゲーム三昧だった生活からゲームをなくす、「ゲーム切り」を実行しました。

ゲームに関しては、身体と心に良くないのはわかっていましたが、その時まではとにかくやりたいだけやらせようと思い本当に自由にやらせていました。

そして、もうすぐ夏休みが明ける8月20日。「今、やらないと…」と思いゲーム切り実行。

タツヤにだけ、やりたくないことをさせるのも…、また自分の時間のできるだけの部分をタツヤに向き合おうとも思い、自分の趣味などもお休みして、一緒に学校復帰を目指そうと挑みました。

はっきりとどのように伝えたか忘れてしまったのですが、ゲームの害のこと、このままゲームを続けていたら、学校復帰できないかもしれないということ。期間を決めて一度やめてみようということを伝えたのでした。

時間制限をかけるという手もありましたが、タツヤなら、ちゃんとゲームを止められると思い、時間制限から始めようとは思いませんでした。

ゲームの害はたくさんあります。しかし、ゲーム切りが出来る子と出来ない子、出来る環境と出来ない環境、そして出来る親子関係と出来ない親子関係があります。ゲーム切りを実行するには、のめりこんでいればのめりこんでいるほど、きちんと段階を踏んで実行する必要があります。やみくもにやれば良いという訳ではないので、この点、注意が必要です。うちの場合には大門先生のリードで安心してゲーム切りができました。

その日、タツヤは怒って泣き喚いていましたが、思ったよりすんなりとあきらめてくれました。

ビックリしたのが翌日。今までは、起こさないと起きてこなかった8時くらいに、自分から起きてきたのです!それから、体調がみるみるよくなっていきました。

そして、ゲーム切りをやる前は、夏休み明けの学校復帰はどうだろう…?と言う感じだったのですが、「これは行けるんじゃない?」と言う感じにどんどん変わっていきました。

 

2014年 秋 2学期

8月末、「学校行けそうじゃない?」と聞いたら、「行く」という返事。

そして自分から、なんと!、「お母さん、先生に電話して、『みんな(クラスメート)に行くから伝えて』とお願いして」と言ったのです!

 

2学期初日。遠距離通学ということもあって、この日は車で送っていくことに。先生からも、「朝いちばんでなくても10時くらいに来られればいいですよ」と言われていたので、その時間を目指しての登校でした。

ちゃんと朝、起きて来ました!そして、行きました!。

私にとって、受験の合格発表の日よりもうれしい日でした。

始めは週に2~3日のペースで行ければいいかな、と思っていたのが、始まってみたら、週に1~2日休むくらいで登校。これは、学校の先生も私もびっくりでした。

お友達とも最初はちょっとぎこちないところもあったようですが、すぐに馴染んでいったようです。

 

2014年 10月 修学旅行

そして、10月の修学旅行にもちゃんと行きました!帰ってきたときは、目の下まっ黒、疲れ切っていましたが…。修学旅行の後は、少し疲れが出たのか、ちょっと休みがちでしたが、なんとか持ち直して、学校に行き続けることができました。

 

2015年 年明けの3学期

中3からのクラス分けテストがあり、テスト2週間前は毎日遅くまで勉強。朝は6時過ぎに起きる生活が続いたのですが、体調を大きく崩すことはなく乗り切りました!

そしてテストが終わった後は、剣道部に入って、久しぶりの部活を始めました。

 

実は、起立性調節障害だとわかって、本を読んだり、いろいろな情報を集めたりして、自分の中でタツヤの学校復帰はもっと先だろうな~と考えていました。

それが、中2の2学期から行くことができたのは、大門先生の「めだかのがっこう」を受講したおかげだと思っています。もちろん、その前にしっかりと身体も心もやすめることが出来ていたのも良かったと思います。体と心を休め、本当にいいタイミングで大門先生に巡り合えたと感じています。

大門先生は、子どもたちや私たち親の幸せを一緒に、本当に親身になって考えてくださる信頼できる先生です。めだかの学校を卒業した今も、ときどきメールのやり取りなどでタツヤのことなど、ご報告させていただいています。大門先生、本当にありがとうございました!

 

2016年 学校復帰から1年半

今、学校復帰から、1年半経ちました。

今は、夜遅くまで勉強していても、それほど辛そうではなく、朝も何とか起きてきます。でも、起立性調節障害という病気は、すっきり、きれいさっぱり治るというものではありません。体調は今もゆっくりと回復しているように感じます。

ここまでの間、2015年の夏休みくらいに、元気のないタツヤをみて心配した私の親(タツヤの祖父母)から、「もっと仕事や趣味を減らして、家にいた方がいい」と言われて、落ち込んだ日々もありました。

ゲーム切りのときは、私が向き合った方がいいと判断して親の言う通り仕事や趣味を減らしました。

でも、2015年のその時期に、さらにそれを続けると、たぶん私自身が「この子のために自分を犠牲にしている」という想いを持ってしまいそうで…。その上、十分に頑張っているタツヤに、「もっと頑張らなくてはいけない」「自分のために母親が我慢している」と思わせてしまいそうで、私は決意して、私のペースを崩さずに、仕事も趣味も続けることにしました。

この時、私は自分のペースを続けるけれど、もっとタツヤのこと、子どもたちのことを「意識」してみて、「できるだけそれを言葉にしよう」と心がけました。

この判断はよかったのだと思っています。特に、「意識」して見ていくこと、その大切さを実感しています。

 

2016年 4月 高校入学

タツヤは、勉強の方は未だあまり気合いが入らないようですが、高校受験は無事乗り切りましたし、それなりにやっています。そして、今年2016年4月からタツヤは高校生になりました。

 

この3年間は、私にとってもタツヤにとっても他の家族にとっても貴重な期間でした。しっかりと家族に向き合うこと、そしてその向き合い方を学んだ日々でした。

今一番大きく感じていることは、タツヤが明るくなったことです。タツヤ本来の輝き、自分自身を表すことができるようになってきているのかなと感じます。まあ、もちろん反抗期なので…、いろいろありますけどね…。(笑)

 

起立性調節障害は、タツヤにとって、私たち家族にとって、とても大切ことを教えてくれました。子どもたちをもっと意識して見るようになったこと。大好きで、愛していることを伝えること。私自身が手放さなくてはならなかった、思い込みやこだわりを手放せるようになったこと。私が感じていることを伝えること。それが子どもたちとの関係をより良いものとし、私を成長させてくれました。

 

起立性調節障害で悩んでいる方々にとって、この手記がお役に立てればうれしいです。長い文章を最後までお読みいただきありがとうございました。

 

コメント

  1. 山本純

    うちの小6の末娘(兄2人)は 起立性調節障害ぎみと言われています。不規則ですが、その気になれば 朝早く起きることができます。6年の新学期から 今日まで、四日しか 学校に行けていませんが、修学旅行に行きたいと 疲れるといいながら、こらえて話し合いに参加し、しおりを見ながら 自分で用意し、今朝早起きして 修学旅行に出発しました。明日 夜帰ってきます。旅行をきっかけに また 保健室・資料室が良いでも 学校に通えるようになればいいのですが。
    私も 彼女に合わせた生活をするのではなく 時自分のペースを守りながら 付き合うようにしています。気長に構えていくつもりです。

    1. kagayake 投稿作成者

      山本様、
      修学旅行に参加できて本当に良かったですね。
      でも、多分、疲れ果てて帰宅されると思うので、労(ねぎら)って早めに休ませてあげて下さい。
      手記のタツヤ君と同じように、純然たる「起立性調節障害」かもしれませんね。
      この病気は、ストレスや心理的な問題がない場合の方が、実は少ないです。つまり、何か心理的なストレスやショックが引き金を引いて、自律神経系の失調を招くという事の方がずっと多いのです。このブログの「K君の場合」というのは、そういう心理的な問題が隠されていたケースで、克服までに2年以上の期間がかかりました。
      もし2年3年と長引く場合には、「何かストレスがないだろうか?」という視点からお嬢様の周辺(学校、担任、友人関係、家庭、塾、進路、等々)を検討してみるという必要があるかもしれません。
      心理的な問題が明らかになれば、克服までの期間が短くなります。
      上記の手記にもありましたが、お子さんにかかりっきりにならないように、かつ同時に、意識してお子さんを良く見つめて上げることがとても大切です。
      いつも声援をお送りしています。

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