中高生女子に増えている「自分が出せない症候群」

人間関係に悩むことは、思春期の特に女子には、昔から少なくなかったのではないでしょうか?他方で、中学生は自分はまだ子供だという幼い感覚で友達と笑い合えるし、高校生は「私は反抗期なの!」と親には言いながら、食卓で「箸が転がっただけで大笑い」する年代などと昔から言われたものですね。

悩む青春、笑う青春、どちらもお年頃の中高生には当てはまる現象のような気がします。

こうした中で、もし、「自分が出せない」、「自分の意見や個性を主張出来ない」、「親友と言える友達がいない」、「学校での友達付き合いが辛い」等々の悩みで我が子が不登校になるとしたら、どのようにお感じになりますか?現実には、こう言う不登校がすごく増えているという実感があります。

ここで、二十歳の女性のメール相談を例に考えてみたいと思います。中高生ではなく、二十歳の女性の相談を取り上げたのには訳があります。この女性が、もう小学校時代から「自分が出せない」「友達が出来ない」「友人関係が辛い」という悩みに苦しんで来たからです。この人の相談を考えてみると、小学生時代、中学生時代、高校時代、そして大学時代まで、年代に応じて「自分が出せない症候群」をよく表していると思います。

Uさんの最初の相談メール

「はじめまして。

私はいま二十歳で、不登校で悩んでいます。私は高校を卒業して大学に入ったのですが、不登校のためその大学を一年で退学し、今は短大に入り直しました。ところが、また不登校になり、環境が変わっても自分を変えることができませんでした。

私の不登校の原因は、人と会話するのが苦手だからだと思います。特に、昼食時間がいちばんしんどいです。一時間近くも友達と過ごさないといけなくて、その間ずっと話をしなければならないんです。長い沈黙があると自分はつまらない人間だと思われる恐怖を感じるし、ちゃんと話せた時でも、帰宅すると、もっと違う返事をしたら良かったんじゃないかと後悔してしまいます。また、私は友達に趣味を聞かれても、本当のことが言えません。本当の事を言えばドン引きされると思います。しょうがなくて、嘘をついて誤魔化します。嘘をついて誤魔化し、あとはおかしくもないのに愛想笑いしている自分が嫌になります。毎日この繰り返しで、本当に疲れてしまいます。

学校を休んで家にいるとすごく気が楽で、一人で外出もできるので、自分はただの怠け者かもしれないと思ったりもします。

これから、あと一年以上は学校に行かないと卒業できないので、どうすれば楽しく通えるのか、どうすれば他の人たちみたいに楽しく会話することが出来るのか、お聞きしたいです。

長文すいませんでした。」

 

小学校高学年から自信を無くした?!

「自分に自信がなくなったのは、小学校の高学年くらいからだと思います。その頃の私の友達は、明るくて誰とでも仲良くなれる人だったので、私は、いつもその人のおまけだと思って、ずっと劣等感を感じていました。その友達がいるから、周りの人は自分にも話しかけてくれるのだと思っていました。

正直に言うと誰かに引っ付いて生きているような自分が嫌いでした。だから、小学校を卒業してから、その友達と連絡することもほとんどありませんでした。また、その頃から、自分の外見にもコンプレックスを感じていました。それで、自信を無くしたんだと思います」。

 

中学生時代の裏切り

「人が怖くなったのは、たぶん中学からだと思います。中学生になってイジメが起こるようになって、いつ自分がいじめられるか毎日が不安でした。いじめのリーダーに嫌われないように必死でした。

たとえば、私は人に対して嫌いとかめったに思わない方なのに、イジメのリーダーから毎日誰かの悪口を聞かされて、共感している様に振る舞いました。また、友達がイジメの対象になったときには、自分がいじめられないように友達を裏切ったりもしました。イジメのリーダーは好きではなかったのに、自分がいじめられないために好きだった友達を3人くらい裏切りました。そんな弱い自分がすごく嫌だったし、今でも裏切ったことへの申し訳なさが心に残っています」。

 

高校時代「自分は偽物?」

「そして、中学を卒業してからも、嫌われないように人の顔色を常にうかがって接することしかできなくなりました。そうすると、周りからは人懐っこいって思われるようですが、その自分は偽物だから、最終的に、良い人を演じるよりは、あまり人と関わりたくないと思うようになりました。またイジメが起こるのではないか、そうなったら、また自分は友達を裏切るのではないか、そう思うと人と親しくなることが嫌でした。」

 

Uさんの家族

「母とはけっこう仲が良いです。大学も母が決めてくれました。でも、最近、母の意見と自分の夢が合わず否定されたことがあったので、将来のことはあまり話しません。それ以外はなんでも打ち明けられます。

父とは、もうだいぶ前からちゃんとした話をしたことがありません。父の言葉にひどく傷ついたことがあって、それから拒絶していました。でも、最近は時間がたって、そのことがあまり気にならなくなったので、以前よりはマシになりました」。

 

お母さんに否定された?

「高2の時に私が看護士になりたいと母に言ったとき、母は人付き合いが苦手な私には無理だと言って反対しました。高校3年になって、将来の夢が見つからなかったので、大学にも行く気はなかったのですが、私の高校は進学校だったこともあり、大学を目指すしか選択肢がありませんでした。そのときに母が、両親とも建築事務所に勤めているので、建築系の学部を勧められました。私も母の意見に納得して、受験したら運よく合格したので、そこに入学しました。でも、人間関係が辛くて結局一年も続かず中退しました。やっぱり自分は看護士になりたいと思い直して、去年、受け直して入ったのが今の短大です。話は最初に戻るのですが、今の短大でも人間関係が辛くて夏休み明けから休み始め、今は完全に不登校です。母はいつもイライラとしていて限度を超えると怒りを爆発させて私を責めます。こんなことが繰り返されているので、今は将来のこととかは母と話すことはなるべく避けています」。

 

依存していると言われても仕方ないのでは?

「依存的かどうか、自分では分からないです。でも、母に気に入られようとして、機嫌を悪くしないように顔色を窺がったりして来ました。そうしないと、欲しい物を買ってもらえなかったり、テレビを見せてくれなかったり、自分にとって不利になるので・・・・・・・・」。

 

二十歳にもなって秘密はないのですか?

「秘密は少しはあります。けれど、今は秘密にしていても、後からタイミングが来たら報告するみたいな感じです。学校のことは全部を話すわけではないのですが、秘密にしているというよりは、自分の苦しいことは母にも話すつもりがないのだと思います。

自分が本当に苦しいとき、誰かに話したいと思っても、言葉が出なくて話せないです。涙しか出ません。でも、一人で泣いたあとは、少し気持ちが落ち着いて、話したいという気持ちが無くなり、結局打ち明けることはないです。これがいつものパターンです」。

 

「しっかりとした自分がある」と言えるだろうか?

「返事が遅くなってスイマセン。難しい質問だったので時間がかかってしまいました。色々と聞いて頂いて有り難うございます。考えているうちに、私には自分がないのではないかと思いました。『しっかりした自分』どころか『自分そのもの』がないかもしれないと思いました。

私は大学にも入り直して、今になって不登校になりましたが、本当は小学生の時や中学生の時に不登校になっていてもおかしくなかったと思います。何か、もう一つ嫌なことがあったり、自分にもう少し考える力があったりしたら、今と同じ問題でとっくに不登校になっていたと思います。その方がよほど良かったかもしれない。いつだって何だって母に相談し、母の言うとおりにやって来て、疑問に感じることもなかったのです。けっきょく私は自分で考えることをしてこなかった。だから、ずっと母に依存して来たんだと気が付きました。愛情はもらってきたと思いますが、自分で自分をつかむことは出来なかった。

こんな自分だったら誰だって私のことをつまらない人間だと思って当然だと思いました。本当に、小学校時代から二十歳の今まで友達と呼べる人がいないのがなぜなのか分かりました。

今も、こう思って母から気持ちを離そうとすると頭がぐらぐらします。母を否定的に見ようとすると、猛烈に心細くなり、同時に、やっぱり自分の人生なのだから自分がやりたいことをやりたいという気持ちが溢れます。これは私が経験したことがない感覚です。

この気持ちを出発点にして、今度こそ自分に正直に生きて行きたいと思います。有り難うございました」。

 

 

さてはて、これを読んでどのようにお感じになったでしょうか?

自我に目覚めることが出来ないUさん本人の性格の問題もありますし、知らず知らずのうちにものすごい支配力で娘の自我をがんじがらめにしている母親の問題もあります。

少なくとも言えるのは、「自分を出せない症候群」は、実は「自分を持てない症候群」だと言えると思います。

この投稿の書き始めでは、色々と解説を付けようと思っていたのですが、それは止めて、とりあえずは、自問自答して頂くことで締めくくりたいと思います。

「子どもの気持ち(自我)を引き出そうとしていますか?」

「親としての自分の気持ちが優先になっていませんか?」

「子どもが悩まないように、苦しまないように、守ってばかりいませんか?」

子どもが悩み苦しむことは子どもにとって必要なことに違いないです。親は、その姿に耐えなければ、いけないのでしょうね。

以上

 

  • カテゴリー: 不登校 |
  • 投稿日: 2016年03月24日 |

コメント

  1. 佐藤輝美

    読んで気になったのは、本意、不本意にかかわらず、自分が選択した行動に対して、「自分がそうしたんだ。」という責任感が欠如しているように感じます。
    そうせざるを得なかっとはいえ、その行動を選択したのは自分です。
    結果は自身が引き受けるしかないものです。
    その原理原則が抜けているから、同じ体験をただ繰り返しているだけだと思います。
    口から出たこと、行動した事、全て責任が伴い、それが生きるという事です。
    それを誰も教えてくれなかったんですね。
    そこを受け取る覚悟が出来るまで、つまり、腹がくくれるまで同じ事が発生し続けます。
    それが必要な学びだからです。
    大変でしょうが、生きていく上で、スズメでも猫でもやってる事ですから、やるしか無いですね。

  2. 大門隆

    佐藤さん、コメント有り難うございます。
    確かに仰る通りなんですが、佐藤さんがもし母親で娘が「自分が出せない症候群」だったとしたら、ちょっと厳しすぎる反応かもしれませんね。
    >生きていく上で、スズメでも猫でもやってる事ですから、
    スズメや猫は「自分が出せない症候群」にはなりたくてもなれませんからね。
    こういう状態になって苦しむのは人間だけです。
    人間だから、手を差し伸べて上げれば、近寄って来て、握ってくれるのではないでしょうか?
    きっと助けを求めているのだと思うのです。

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