不登校児の親に多い性格タイプ 第2位「自己犠牲を厭わない献身的な人」

「自己犠牲を厭(イト)わない献身的な人」

前回は、「不登校児の親に多い性格タイプ」の第1位として、「自己主張する仕切りたがり屋」(ジャンヌダルク型)を扱いました。

今回は第2位として「自己犠牲を厭(イト)わない献身的な人」を扱って行きます。このタイプは、イメージ的には「ナイチンゲール型」と言って良いでしょう。ナイチンゲールはイギリスの看護師で、クリミア戦争で献身的な活動をしたのみならず、その後、「看護学」と言う学問分野を初めて打ち立てた優れた学者でもあります。

第2位ではありますが、第1位とは僅差です!

犠牲的な精神をもって献身的に我が子に尽くす親としての姿は、他のどのタイプにも劣るところがありません。それなのに、なぜこのタイプの親は我が子の不登校と言う問題に直面しやすいのでしょうか。第2位とはいっても、1位との差はごく僅かです。実質的には1位の「自己主張する仕切りたがり屋」とほとんど変わりません。なぜでしょうか?

多くの人を惹きつける魅力的なお人好し

このタイプは、ホーナイの性格類型では「協調型」に属します。思いやりがあり、それゆえ人間関係をとても重視します。寛容で人を喜ばせることが好きですし、事実、苦も無くそれをやってのけるだけの表現力にも恵まれています。お人好しですし、おせっかいと言って良いほど、人のためにわざわざ何かをやってあげることに自分の存在価値を見出します。献身的な姿勢と優しい態度は多くの人を惹きつけます。ですから、このタイプは自分が人の為になっていると感じられるときに、自分が最も豊かで意味のある生き方をしていると信じ、喜びに輝きます。

不登校の子を助けようとする側に立つ!

不登校との関わりで見てみると、自身が不登校になることは滅多にありません。むしろ不登校になりかけている友達を励まして助けようとする側にいます。友達が学校に来ないことを心配して放課後、その友達の家を訪ねたりします。自分が不登校になるなどと言う心配はほとんどすることがありません。愛とか友情とか親しさを分かち合う事で自分の気持ちを温かくし、それを「学校に行けない友達」に上げたいと願います。

自分には価値がないのでは?という恐れがこころの奥底に!

しかしこのタイプの内面はお人好しの外見ほど単純ではありません。このタイプがなぜ自己犠牲を厭(イト)わず、献身的に人に尽くすのかと言うと、こころの奥底に「あるがままの自分には価値がないのではないか」という大きな恐れがあるからです。人から愛してもらうには、いつも人のことを優先し、人を愛し、無私でなければいけないと信じているかのようです。問題なのは、こうして人を自分自身よりも上位において、自分よりも人を優先しなければいけないことに、秘かに怒りや憤りを感じているということなのです。もちろん、自分ではそういう否定的な感情を無意識に押さえつけて、認めようとはしないのですが、最終的には怒りや憤りが爆発してしまう事が多いです。

この性格タイプのジレンマ

人に自分の寛容さや優しさ、愛情の深さを認めてもらいたいという気持ちが満たされない時に、それが大きなストレスになりやすいのです。そういう自分自身の優れた面を認めて欲しいと思うのは、一種の「プライド」とも言えますが、自分が相手を褒めるのと同じように褒められたいし、自分が相手にやって上げた分だけ自分にもそれが返って来て欲しいと願っています。ところが、往々にして人の態度と言うのは、「あなたが好きでやっていることでしょう」という冷めた見方が多いのです。

人が去っていくことも少なくない?

つれない人の態度が、このタイプの「プライド」を深く傷つけます。褒めて欲しい、認めて欲しい、感謝して欲しいと思うがゆえに、人に対するこのタイプの態度は、「へつらい」と言っていいほど卑屈なものになりがちです。それでも褒めてもらえない、感謝してもらえない、求めてもらえない、という事になると、それが感情的な爆発のきっかけになります。

このタイプは、そのプライドゆえに、ほとんど相手を選ばず人の心の傷を癒そうとしますが、自分の傷だけは無視しようとします。「私は何も要らない。私は大丈夫。私はあなたのために居るんです」と言っているかのようです。この「プライド」は「自分自身の心の傷を認めたくない、助けを求めたりしたくない」という事を表しています。このような爆発が、往々にして人を驚かせ辟易(ヘキエキ)させて、人が去っていく原因になります。人にしてみれば、何を怒っているんだろう?この人は!!となってしまうのです。

子どもの自我が育つにつれて問題が大きくなる?

このタイプの育児に見られる特徴は、子供が成長し自我が芽生えて来るのにつれて問題が大きくなっていくことです。子どもが中学生や高校生になって反抗期を迎えると、その問題は時に恐ろしい形を取り始めます。

子どもが幼児期から小学校低学年のころまで、このタイプはパーフェクトな母親を演じます。子どもの顔色を見、子どもの気持ちを察し、子どもがハッピーで居られるようにあらゆる気遣いや配慮を欠かすことがありません。二人三人の子どもを育てる母親は仕事を持っていなくとも本当に忙しいものですが、このタイプは子どもにベストを尽くすと同時に、夫にも快適な家庭を与えようと、主婦としての使命感に燃えて、家事や育児に励みます。献身していることが喜びなのです。

疼(ウズ)き始める罪悪感

しかしこのタイプは、自分が必要以上のことをしていることになかなか気づきません。子どもにも夫にも、あまりにも多くのものを与えすぎているのです。つまり、自己犠牲が好きなので、家族に対して「過保護」になるのです。子どもは成長するにつれて、「自分一人でやってみたい」「家族の一員としてお手伝いをしたい」という欲求を持つものですが、このタイプの母親は家庭を「完璧なところ」にするのに忙しく、子どもに一人でやらせるという時間的な余裕も、気持ちの余裕もありません。時に、「子どもに独力でやらせる」「お手伝いをさせる」ということに無意識の罪悪感を抱くことさえあるのです。

子どもが一人でやりたがることを一人でやらせることは子供の成長にとって不可欠のことですが、このタイプの母親はそれを自らやってしまって、子どもから「達成感」を奪ってしまうかもしれません。何でも先回りしてやってしまうため、子どもから「自立心」を削(ソ)いでしまうかもしれません。おまけに、子どもは母親がしてくれることは「当然のこと」と受け止めます。したがって、母親に感謝するという気持ちも湧いてくることはありません。感謝を要求されたりすると、内心では「恩に着せられるくらいなら、そこまでやって欲しくない」と思っているのです。

感謝して欲しいという気持ちはどこに向かう?

子どもは思春期ともなれば親に対しても批判的になるのが普通です。すると、このタイプは傷つきます。「いったい誰のおかげでここまで成長できたと思っているの」と不満を感じないではいられません。自分が子どもから愛されていると感じられなくなるのです。そして、原因は子どもにあると考えます。「いつの間にかこの子は、何という恩知らずになってしまったんだろう」という訳です。この性格タイプはタフですから滅多に体調を崩したりしないのですが、急に寝込んだりと言うようなことが起こります。思ったような感謝と思いやりを家族からもらえないので、無意識に「自分が寝込んだらどんなに大変か思い知らせてやりたい」と願うのです。子どもが音を上げて折れてくると、二度と自分から離れないように、また、二度と自分に反抗しないように、無意識に、むしろ子どもの自分に対する依存を強めようとします。こうなるともはや、母子が共依存状態になる一歩手前と言って良いでしょう。

子どもが不登校になった時

さて、このタイプの母親の下、子どもが不登校になったらこのタイプはどのように反応するでしょうか?

一方では、にわかに元気づいて、本来持っている篤い同情心から出来るだけのことはすべてやろうと決心します。「私はあなたのためにすべてを犠牲にして頑張って来たのに!」と内心の怒りに燃えながら、それでも心底心配して、あらゆる可能性を検討します。他方では、ただただ気が動転してしまう母親も少なくありません。「ああ、信じられない。私はいったいどうしたらいいのだろう」と途方に暮れてしまいます。

前者は強く実際的ですが、後者はそれほど強くはないので楽観的になって事態を乗り切ろうとします。それと言うのも、このタイプの母親は、両者ともに、基本的に自分は完全な母親で何の落ち度もないと信じているからなのです。そういう母親から「不登校」の子どもが出て来るとは信じがたいことなのです。

不登校の原因はいつも多元的です

何度も繰り返しますが、不登校は多元的で、様々な顔を持っています。多元的だという事は複数の原因が絡んでいることの方が多いという事です。ですから、ここでも不登校マップのA群からF群までの要因を子細に検討してみる必要があります。精神的な病の可能性もあり(A群)、心理的な原因があって体調不良を起こしている(B群)かもしれません。また、まさに心理的な問題(C群)かもしれませんし、なかでも共依存(D群)を起こしているのかもしれません。あるいは、思春期になって何らかの発達障害が発現した(F群)のかも知れません。ですが、親がAC(アダルトチルドレン)だという可能性だけは排除して考えて良いでしょう。ACの親は「過干渉」にはなれても「過保護」にはなれないからです。

この「自己犠牲を厭(イト)わない献身的な人」の母親のもとで子どもが不登校になると、なんらかの形で養育が「過保護」になっていたという側面が付きまといます。側面にはとどまらず、子どもの不登校の「主因」であることも少なくありません。

偽りの自己イメージ

もし自分が性格タイプとしてこの型に当てはまると感じたら、まずは自分の養育に「過保護」がなかったか静かに振り返る必要があります。過保護と言うのは子どもへの犠牲的な愛のように見えますが、実は、自分さえ満ち足りていればよいとする利己的なもの、敢えて言えば「欲のようなもの」かもしれません。なぜかと言うと、犠牲的になればなるほど「自分は無価値ではないか」という根源的な恐れから離れることが出来るからです。そして、「私は愛情が豊かで、人への思いやりに満ち、私心(利己的な心)がない」という偽りの自己イメージを強めてくれるからです。

無条件の愛

しかし、このタイプの本質は、その欺瞞的な「自己イメージ」の下にある「無条件の愛」です。皮肉なことに、自己イメージがあまりにも強固なために、このタイプはなかなか自身の本質に近づくことが出来ません。でも、勇気をもって自らの心の闇に入って行くと、「利己的であってはいけない」「自分自身を癒してはいけない」「人のために純粋に献身しなければならない」という強烈な思い込みが、すべて私心(利己的な心)から来ていることが見えてきます。こうした思い込みを手放すことによって、初めて、いかに長い間、愛情を求めて自分が苦しんできたかに思い当たることが出来ます。逆説的ですが、このようにして初めて、このタイプは自身の痛みと価値を同時に認め、「無条件の愛」つまり、報酬を期待せずに人を愛することが出来るようになります。

マザー テレサ

インド/ポンペイの貧民屈で布教活動を始めたマザーテレサと言う人が居ます。私はこの性格タイプを持つ人を見ると、このマザーテレサの姿を思い出します。「献身」と言う言葉が思い浮かびます。また、「謙虚」と言う言葉も浮かんできます。そして、「崇高」という言葉に打たれます。「どれだけ多くを与えたか、ではないのです。どれだけ心を込めたかが大切です」とマザーテレサは言いました。

良き親の体現

「自己犠牲を厭(イト)わない献身的な人」は、成長すると、誰もがこんな親で居て欲しいと願うような「良き親」の体現なのです。自分をありのままに見てくれる人、限りない共感をもって理解してくれる人、果てしない忍耐力をもって助けてくれる人、真の勇気と励ましを与えてくれる人、喜んで手を貸してくれる人です。

一方で、いつ、どのように子どもの手を放すべきか正確に知っています。心がとても大きく開いているために、私たちの心をも開いてくれる人です。より深く、より豊かな人間になるための方法を教えてくれる人です。

以上

  • カテゴリー: 不登校 |
  • 投稿日: 2016年01月30日 |

コメント

  1. 徳永しょうこ

    私は、この、タイプかも、しれません、私が、なんとかしなきや、と、いつも、思ってしまいます

    では、どうしたら、うまくいくのでしようか

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