メールでのお便り「勉強について」
頂いたお便り
大門さん
こんにちは。
勉強しなさい と「強制」とは思わせないで伝えるのは難しいですね。
太郎曰く、
「昼に気持ちを立て直して、で、夜にお母さんに勉強しろといわれると、また、気持ちが落ちて、で、次の日一日かかってまた気持ちを立て直して、で、また夜お母さんにいわれるとまた落ち込むんだよ」と言われました。
こういう気持ちを私に伝えてくれるだけ、まだ良いのかなと思いました。「落ち込んだ気持ちを一日で立て直せるなんてすごいね」と褒めました。
どうも私は過干渉になってしまうようです。
昼に勉強している形跡が感じられないので、(教科書が動いていない・・・など)夜になって「やりなさい」としつこく言ってしまいます。
「自分の決めたタイミングでやるから」と太郎は言うのに、私は、すぐに結果が見えないとダメなんですね。。。
いま私が勉強のことを言うのは、危険かなと思いました。
私が「勉強したら?」というと、太郎には「強制的にやらされる」、と思われているので、昨日の大門さんからのメールの一部をコピーしてみせました。
大門さんからのメールだとは伝えていませんし、太郎に関する相談だとも言っていません。
以下のように文章をまとめて、コピーして、読んでもらいました。
以下コピー
インターネットで調べてみると、「テレビ、ゲームに没頭していても子供なりに考えている。飽きるまでやらせても大丈夫」などと書いてあるものもありますが・・・・・・・?
「何を根拠にこういうこと↑が言えるのか、全く現実を知らない人の無責任な放言です。何十万人ものヒッキー達が、ゲーム依存症になっている現実を知らないのでしょうか。」
「言い方が難しいのですが、ポイントは、やるべきことをやらないから余計に苦しくなり、気持ちが堕ちていくんだよという事なのです。」
「学校へ行けと言うのではなく、『学校を休んでいても、きちんとやるべきことをやれば、それほど気持ちは落ち込まずに、すっきりしていられるんだよ』という事を分からせないと、逃げっぱなし、負けっぱなし、ということが続きかねません」
以上の文章を太郎に読んでもらいました。
「お母さんはこういう気持ちを太郎に伝えたいんだけど、言葉でいうのは難しいね」と言い添えました。
お願いすれば、家事の手伝いは嫌がらずにやってくれます。
話もしますし、穏やかな様子は変わりません。
私の過干渉を正すことが、鍵なのかな?と思います。
私の答え
※くれぐれも注意して下さい。太郎君とお父さんお母さんはコミュニケーションもとても良くなり、本音を言い合える関係なりました。私の答えは、それを前提にした答えです。親子の仲が悪くコミュニケーションも満足にとれないという親子には、下記のようなお返事はしません。そこを注意してお読みください。
>勉強しなさいと「強制」とは思わせないで伝えるのは難しいですね。
私が「勉強させた方がいい」と時々言うのは、学校との関連ではありません。
つまり、「学校の授業についていけなくなるから」とか、「みんなに学力的において行かれるから」という意味で言っているのではないのです。
「勉強させた方がいい」と言っている意味は、「躾として」という事なのです。
親は家族の為に当然のように働きます。
職場に行って働くのも、家に居て家事をするという事も、等しく家族の為に働いているのです。
親が、家族の為に働くのはある意味、当然ではないでしょうか。
もしそうなら、子どもが「勉強する」のは、やはり当然ではないかと私は言いたいのです。
何故か!
子どもは、「将来、家族の為に働くことが出来るように、いま勉強するのは当然」と言いたのです。
たとえば、「僕は(私は)家族の為に食器洗いと洗濯物を畳むとかして、それで家族の為に働いている。だから、それでOK」とはいかないのです。
それプラス、「将来、家族の為に働くことが出来るように、いま勉強するのは当然」なのです。
「勉強しなさい、自分のためなんだから」ではダメでしょうね、効き目はありません。弱すぎます。
「自分のためならやりたくない、やらないでいいよ、ゲームの方がいいよ」、子どもは、そういう逃げの方へ流れるばかりです。
子どもは、将来、親と同じように家族を養っていくことが出来るように、未来の家族の為に、今、勉強して、自分の義務を果たさないといけません。
だから、これは「躾」の話なのです。
だから「クールに躾ける」(四原則のその2)のです。
この意味では、「強制」です。
勉強させずにリラックスさせる時期も、もちろん、ありますが、太郎君の場合、登校刺激もなく十分にリラックスして、先日は「学校に行く」とまで言っていました(残念ながらうまく行きませんでしたが)。お父さんお母さんとのコミュニケーションもすごく良くなりました。
今、「気持ちが落ち込む」のは、お母さんに勉強しろと言われるからではありません。
勉強しなければいけないのに、それから逃げて勉強しないからです。
だから、気持ちが堕ちるのです。
気持ちが落ちないためには、太郎君は今、ゲームをやるか寝るかしかないではありませんか。
つまり逃げているのです、逃げまくりもいいところです。
だから、気持ちが落ち込むのです。
私が言っているのは、逃げるのではなく、立ち向かってやるべきことをしなさい、という事です。
立ち向かってやるべきことをすればこそ、気持ちもすっきりとして元気が出てくるのです。
やるべきことから逃げまくりでは、元気が出てくるはずがないではありませんか。
>「自分の決めたタイミングでやるから」と太郎は言うのに、
勉強というものは、家事と同じで、やると決めておいて、その時にやらないと出来るものではありません。
「自分の決めたタイミング」なんて永遠に来ません。
前々回のメダカのテーマで、神経学者や大脳生理学者たちが「人間には自由意思なんてない、決断した時刻よりも半秒以上前に『準備電位』が上がり始める」と言っているという話をしましたよね。
少なくとも勉強に関しては、時刻を毎日決めておいて、その時刻が来たら自動的に勉強を始めるという事にしておかないと出来ないのが普通です。
そうやって勉強をするようになると、次第に元気が湧いてきて、すっきりとした気分になれるのです。
なぜかと言うと、「やらなければいけない事をちゃんとやっている」からです。
これってものすごく大切なポイントで、これが「自己肯定感」を育むのです。
過干渉で構いません。
もっとも、先回りして親がやって上げてしまうのは、致命的にまずいですね。
ただ、勉強だけは、先回りして親がやっても意味はないですよね。
なぜって、親が先回りして勉強して上げるってことは不可能ですよね。
漏れないように我慢している本人の代わりに、親がトイレに行ってあげても無意味なのと同じですよね。
ポイントは、やってあげるのではなく、まずは言葉で納得させることです。
「毎日少しずつでも勉強をきちっとやってごらん。それをやればこそ、すっきりした気分でいられるんだよ」
「それをしないと、人間は誰だってすっきりしない。そればかりか自分のことが嫌いになるんだよ」
という事なのです。
自己肯定感は子どもが元気で居られるための「水位」なのです。
その水位を上げていくためには、「躾」は時に不可欠なものになります。
ホットに褒めているだけでは、やはりダメなのです。
「とは言っても、ダメなんですよね~。いくら躾けても、ぜんぜん勉強やりません!大門さん、どうしたらいいんですか?」と言う声が聞こえてきそうですが(笑)、とにもかくにも頑張りましょう!
クールにきっちり「躾け」ましょう。
大門隆
- カテゴリー: 不登校 |
- 投稿日: 2015年11月23日 |